2014/02/15

- オレ流写真論 (1) - 人は何故写真を撮るのだろう。

人は何故写真を撮るのだろう。

専門学校に行ってた時ふと悩んで撮れなくなった事がある。
ある意味、人は何故生まれてきたかの様な命題であり、いくら考えても答えの出ない事だ。
当時出た答えは「自分の為に撮る」だった。言葉にするとちょっと違うニュアンスになるが、広義な意味での「自分の為」だ。忍び込んだ確か2年生向けの竹内敏信氏の講演で、それに気付かされた。

自分の為とは自分が満足する為…技術の習得だったり、挑戦だったり、金だったり…いろいろな意味で自分にとってプラスになるから、だから写真を撮る。多分そんな感じで自分の中で納得したのだろう。
しかし正直なところ20年経った今も答えは出ていない。きっとずっと出ない。いや、ずっと考えて行かなくちゃならない事なのだろう。そんなことも氏は言っていた気がする。

自分の為となると難しい…どこからか、まあいいか、もういいかって気持ちが湧いてくる。多分まったくの趣味であったら、それでやめてしまってもいいのだろう。自分が撮りたい時に撮って、撮りたくない時は撮らない…何も問題はない。

モチベーションを保つ為の動機を見つけられない時、自分はとにかく写真を撮る。出来るだけ何も考えないようにしながら、ただただシャッターを切る。それが経験上のスランプ脱出方法だ。そうしてるうちにまた少し進む事が出来る。

 写真は自由だ。人によってそれが物の記録であったり、時の記録であったり、物の表現であったり自分の表現であったり、決まった事など何もない。だからこそいろいろなカメラでいろいろな被写体を撮る人達がいる。カメラなんて目的に合う物なら本当は何だっていいんだ。

次回、良い写真ってなんだろう…と続きたいところだけど、勢いで書かないと絶対書かないと思うから続けちゃいます。


良い写真ってなんだろう。

カメラは良いカメラが欲しい。良いカメラで良い写真を撮りたい。そう思う人は多いだろう。
でも良い写真って何だろう?
ボケてない写真?ブレてない写真?
それは基本で構図が教本通りにバッチリの写真?
シャッターチャンスがバッチリの写真?
色が綺麗な写真?
みんながうまいと言ってくれる写真?
多分どれでもあってどれでもない…。

先程、写真は自由だと書きました。ということは良い写真だって人それぞれだし、自由なんだから決められない。ましてコンテストとかその審査員の好みだから金賞が一番良いわけじゃない。学校の美術とか音楽だって成績付けて分ける物じゃないって思う人いると思います。
自分もそう思った時がありました。確かに一位を決めるのは難しいです。最終的には好みだって出てくると思います。ただ良い写真、駄目な写真は明確に別れます。
 良い写真は存在する…じゃあいったいそれはどんな写真なのか。
良い写真≠上手い写真の様な感じでイコールではない。

結局写真は人に見せてナンボ。人に伝える事が出来る写真が良い写真です。素晴らしい風景を見た時の感動を…自分が何に心を動かされ、自分がその時どう思ったのか、それをその場に全くいない人に伝えられるか。そういう事だと思います。
写真には詩のように歌詞がないから、映画のように言葉も効果音もないから、だからこそ二次元の限られた枠の中で、その伝えたい事が一番うまく伝えられるようなシャッターチャンスで撮ったり、より引き出せる構図で撮ったりすることが重要になります。そして、その方法こそが自由だと、無限の方法があると思っています。

「バッチリ写ったよ」じゃなくて「バッチリ伝えられたよ」が本当の良い写真と信じてます。

 この被写体にはこのカメラが必要、このレンズが必要、この構図で、この絞りで、このシャッタースピードで…そんなことより、
この被写体に対して、どこが好き?どれだけ好き?どんな気持ち?…それの方がとても大事で、そしてこれが今写真を撮っている人、これから撮ってみようと思う人達に忘れて欲しくないと願う事です。

2009.6.11