rokka - Compare and convert HEIF, JPEG and WebP:
自分の写真をアップロードして検証することもできます。
パッと見た感じではファイルサイズがJPEGの半分、WebPの2/3ほどで済むHEIFが良さそう?
ただ実際どれがポストJPEGに向いているかはエンコード、デコードの時間やその他いろいろな仕様、実装のしやすさなども関係してくるので、どれが一番採用されるかはわかりません。
JPEG2000というものもありますが画質はいいものの重さがネックになっていたのか普及には及びませんでした。
HEIFはiOS11で使用されることが決まっていますし、WebPはAndroidのGoogleが開発…しかもChromeでは既に実装済み。
ちなみにマイクロソフト主導のJPEG XRというのもあります。
2017/08/23
2017/08/22
【コラム】きれいな写真の三要素
機械学習を用いれば、写真が「撮影する前」からプロ仕様の美しさに──グーグルとMITがアルゴリズムを開発|WIRED.jp:
"ニューラルネットワークにより…「コントラストをわずかに上げる」「明るさを抑える」といったあらゆる補正が可能"
基本的にプロ向けでない多くのカメラは「撮って出し」の見栄えを良くするために、明るく出すことが多い。
またそれは、逆光で撮った時など顔が暗くなってしまうのを防ぐ効果もある。
明るく更にコントラストまで上げると当然白飛びすることが多くなるので、コントラストはそれほど上げない。
そんなカメラが多いので「コントラストをわずかに上げる」「明るさを抑える」というのは非常に有効と思う。
明るさを抑えるとはアンダーに撮るということで、これはフィルムの時、特にリバーサルでは当然として言われていたことだ。
アンダーに撮る効果とは、「余計な箇所を塗りつぶし、見せたい箇所に視線を集中させる」こと。
そのためには撮影時、見せたい被写体が一番明るくないとならない。
これは光の扱い方だが、今のAIにはこれはできない。
被写体として向いているかどうか、どう光を(日光も含めて)コントロールすれば上手く撮れるかまで、アドバイスはできても処理はできない。
綺麗な写真と人が認識する要素は
この三点だと思う。明るさは少し離れて次の要素に入るが、少しくらい暗くても明るくても、これらが満たされていればマイナス要素にはならない。
よくよく考えてみれば
光…写真の基本
階調…モノクロ写真の基本
ホワイトバランス…カラー写真の基本
ですよね…。
なのでiPhoneなどスマホのカメラで綺麗な写真を撮りたい時は、光が一番だがそれは置いといて、
この三点がとても大事…だが、それが一度に出来るカメラアプリはほとんどない。特にコントラストを調整できるアプリが。
自分は ManualShot! しか知らないのだが、最近アップデートがなく寂しい。
"ニューラルネットワークにより…「コントラストをわずかに上げる」「明るさを抑える」といったあらゆる補正が可能"
基本的にプロ向けでない多くのカメラは「撮って出し」の見栄えを良くするために、明るく出すことが多い。
またそれは、逆光で撮った時など顔が暗くなってしまうのを防ぐ効果もある。
明るく更にコントラストまで上げると当然白飛びすることが多くなるので、コントラストはそれほど上げない。
そんなカメラが多いので「コントラストをわずかに上げる」「明るさを抑える」というのは非常に有効と思う。
明るさを抑えるとはアンダーに撮るということで、これはフィルムの時、特にリバーサルでは当然として言われていたことだ。
アンダーに撮る効果とは、「余計な箇所を塗りつぶし、見せたい箇所に視線を集中させる」こと。
そのためには撮影時、見せたい被写体が一番明るくないとならない。
これは光の扱い方だが、今のAIにはこれはできない。
被写体として向いているかどうか、どう光を(日光も含めて)コントロールすれば上手く撮れるかまで、アドバイスはできても処理はできない。
綺麗な写真と人が認識する要素は
- 光
- コントラスト(階調)
- ホワイトバランス
この三点だと思う。明るさは少し離れて次の要素に入るが、少しくらい暗くても明るくても、これらが満たされていればマイナス要素にはならない。
よくよく考えてみれば
光…写真の基本
階調…モノクロ写真の基本
ホワイトバランス…カラー写真の基本
ですよね…。
なのでiPhoneなどスマホのカメラで綺麗な写真を撮りたい時は、光が一番だがそれは置いといて、
- ホワイトバランスをしっかり合わせて
- コントラストを少し上げて
- (被写体によっては)少しアンダーに撮る
この三点がとても大事…だが、それが一度に出来るカメラアプリはほとんどない。特にコントラストを調整できるアプリが。
自分は ManualShot! しか知らないのだが、最近アップデートがなく寂しい。
2017/02/25
着いた先は廃村だった - ぽんハウス BLOG
二年前、偶然たどり着いた集落に今日、また行くあてもなく向かった。
川沿いにある集落の入口には、梅が咲いていた。
ハイキングコースの看板と唯一電気を感じる自販機は、まるでちいさな温泉街の入口のよう。
しばらく梅の写真を撮っていたら、軽トラックが一台止まる。
よくあるパターンだ。これは、怒られる…。
経験的にそう思った。
観光地でもなく、素晴らしい景色があるわけでもない場所でカメラを担いでいると、多くの場合怪訝な目で見られる。
軽トラックの老人から声をかけられた。
「どこから来たの」
「梅、撮っていたのかい」
自分が気にしすぎていたことが分かり、少しホッとした。
82歳になるこの老人は、以前この集落に住んでいたらしい。
江戸時代から続く土地を手放し、今は少し町よりの場所で暮らしているそうだ。
集落にはもう誰もいないと…。
手入れされた茶畑があるところを見て、まだ住んでいる住人がいるのかと思っていたが。
この老人の他にも、ここには何かの用事で時折帰ってきている住民がいるのだろうか。
元気な足取りで案内された旧自宅を拝見させてもらった。
奥さんは最近体の調子が悪く、今日は他の町で暮らす娘が見舞いに来ていたようだ。
自慢の立派な石垣の前で写真を撮ってくれないかと言われる。
老い先短いんでな~と。
もちろん。二つ返事で写真を撮った。
このあと集会があるとそこで別れた。
ちいさな集落。ここにも歴史がある。
それを忘れちゃいけない…そんな気がした。
廃村 - ぽんハウスギャラリー
前回の記事
着いた先は限界集落 - ぽんハウス BLOG:
川沿いにある集落の入口には、梅が咲いていた。
ハイキングコースの看板と唯一電気を感じる自販機は、まるでちいさな温泉街の入口のよう。
しばらく梅の写真を撮っていたら、軽トラックが一台止まる。
よくあるパターンだ。これは、怒られる…。
経験的にそう思った。
観光地でもなく、素晴らしい景色があるわけでもない場所でカメラを担いでいると、多くの場合怪訝な目で見られる。
軽トラックの老人から声をかけられた。
「どこから来たの」
「梅、撮っていたのかい」
自分が気にしすぎていたことが分かり、少しホッとした。
82歳になるこの老人は、以前この集落に住んでいたらしい。
江戸時代から続く土地を手放し、今は少し町よりの場所で暮らしているそうだ。
集落にはもう誰もいないと…。
手入れされた茶畑があるところを見て、まだ住んでいる住人がいるのかと思っていたが。
この老人の他にも、ここには何かの用事で時折帰ってきている住民がいるのだろうか。
元気な足取りで案内された旧自宅を拝見させてもらった。
奥さんは最近体の調子が悪く、今日は他の町で暮らす娘が見舞いに来ていたようだ。
自慢の立派な石垣の前で写真を撮ってくれないかと言われる。
老い先短いんでな~と。
もちろん。二つ返事で写真を撮った。
このあと集会があるとそこで別れた。
ちいさな集落。ここにも歴史がある。
それを忘れちゃいけない…そんな気がした。
廃村 - ぽんハウスギャラリー
前回の記事
着いた先は限界集落 - ぽんハウス BLOG:
2015/05/17
着いた先は限界集落
今日は行くあてもなくドライブしていて、山奥の集落に着きました。
数えてはいないのですが、だいたい20件前後でしょうか…川沿いに古い木造の家が建つ静岡のとある集落です。
数年前に一度訪れたことのある場所だったので、どこか懐かしい感じで最初はワクワクしていたのですが、どうも様子がおかしい。人の気配がしない。
よく見ると家の戸は閉まったまま草や蔦が生い茂り、人の出入りがないことが分かる。
家の前にある広めの庭には、きっと花が好きだったであろう住民が育てていたであろう花壇が並ぶ。しかしもう花は咲いていない。
カメラを持ってきていないのでiPhoneを取り出し撮影を始めた。
当時。村人が道を行き来している様子を想像しながら。
限界集落と呼ばれるものがある。
若い人たちは街へ出て、集落には年寄りばかりが残る。そして段々と人は減り、消滅寸前の集落のことを言う。
残された年寄りたちは不便でそして孤独な生活を強いられる。
何か必要であっても物はない。豊かな生活でもない。体も弱り、街への買い出しもままならないだけでなく、田畑の仕事や普段の生活も厳しくなっていく。年寄りだけが残るとはそういうことだ。
地域によっては村おこしなど新たな住民を向かい入れ、過疎化に歯止めをかけようとしている所もある。しかし、これからは生活しやすい場所に住民を集約し、効率的に住む方がいいという意見もある。
確かにそうかもしれない。元々山間部が発展した理由のひとつにある林業も今や厳しく、生活だけでなく仕事という面も含めその方が住民にとっても便利だろう。
将来はそれでいいかもしれない。いや、そうならざるを得ないかもしれない。しかし、限界集落の問題は今起きていること。
都会の片隅で起きていると思われがちな孤独死が、当たり前のように多くの集落で今、起きている。
どんな生活だったのだろうか。
どんな人生だったのだろうか。
自分には想像でしか分からないことが多すぎる。しかし、今日見てきた、感じたことは、今日本中で現実に起きていることなんだと、あらためて考える機会になった。
たった1日、iPhoneでパッと撮っただけの写真ですが、一部アップします。またいつか撮りたいと思います。
限界集落
数えてはいないのですが、だいたい20件前後でしょうか…川沿いに古い木造の家が建つ静岡のとある集落です。
数年前に一度訪れたことのある場所だったので、どこか懐かしい感じで最初はワクワクしていたのですが、どうも様子がおかしい。人の気配がしない。
よく見ると家の戸は閉まったまま草や蔦が生い茂り、人の出入りがないことが分かる。
家の前にある広めの庭には、きっと花が好きだったであろう住民が育てていたであろう花壇が並ぶ。しかしもう花は咲いていない。
カメラを持ってきていないのでiPhoneを取り出し撮影を始めた。
当時。村人が道を行き来している様子を想像しながら。
限界集落と呼ばれるものがある。
若い人たちは街へ出て、集落には年寄りばかりが残る。そして段々と人は減り、消滅寸前の集落のことを言う。
残された年寄りたちは不便でそして孤独な生活を強いられる。
何か必要であっても物はない。豊かな生活でもない。体も弱り、街への買い出しもままならないだけでなく、田畑の仕事や普段の生活も厳しくなっていく。年寄りだけが残るとはそういうことだ。
地域によっては村おこしなど新たな住民を向かい入れ、過疎化に歯止めをかけようとしている所もある。しかし、これからは生活しやすい場所に住民を集約し、効率的に住む方がいいという意見もある。
確かにそうかもしれない。元々山間部が発展した理由のひとつにある林業も今や厳しく、生活だけでなく仕事という面も含めその方が住民にとっても便利だろう。
将来はそれでいいかもしれない。いや、そうならざるを得ないかもしれない。しかし、限界集落の問題は今起きていること。
都会の片隅で起きていると思われがちな孤独死が、当たり前のように多くの集落で今、起きている。
どんな生活だったのだろうか。
どんな人生だったのだろうか。
自分には想像でしか分からないことが多すぎる。しかし、今日見てきた、感じたことは、今日本中で現実に起きていることなんだと、あらためて考える機会になった。
たった1日、iPhoneでパッと撮っただけの写真ですが、一部アップします。またいつか撮りたいと思います。
限界集落
2015/03/09
手のひらで画角を測る 〜 オレ流写真論番外
ちょこっとした小技なのですが、自分の手のひらを使って角度を測ることができます。
レンズの画角が分かれば、撮影に必要な焦点距離もこれでだいたい分かるのでロケハンなどに便利です。
また太陽や月は一時間に約15度動くので、どれくらいしたらどの位置に来るかも分かり、撮影の役に立つこともあります。
1. 手をいっぱいに伸ばし、自分の顔から手のひらまでの距離を測ります。(これをaと置く)
2. 目安にしたい手のひらのパーツを定規で測ります。(これをbと置く)
3. 関数電卓でtan-1やatan、arctanと書かれている、アークタンジェントの計算をします。
関数電卓を持っていなくてもwebサイトを調べると、計算してくれるサイトがいくつか出てきます。
例えば…関数電卓『関数電卓』
iPhoneだと電卓アプリを横向きにして拡張表示にしてから、2ndキーを押すとtan-1のキーが現れます。
a÷bを計算し、最後にatanもしくはtan-1ボタンを押すと角度が表示されるはずです。
もし妙な数値が出た場合は、角度がrad ラジアンになっているかもしれませんので、deg デグリーを押します。
レンズの画角が分かれば、撮影に必要な焦点距離もこれでだいたい分かるのでロケハンなどに便利です。
また太陽や月は一時間に約15度動くので、どれくらいしたらどの位置に来るかも分かり、撮影の役に立つこともあります。
1. 手をいっぱいに伸ばし、自分の顔から手のひらまでの距離を測ります。(これをaと置く)
2. 目安にしたい手のひらのパーツを定規で測ります。(これをbと置く)
3. 関数電卓でtan-1やatan、arctanと書かれている、アークタンジェントの計算をします。
関数電卓を持っていなくてもwebサイトを調べると、計算してくれるサイトがいくつか出てきます。
例えば…関数電卓『関数電卓』
iPhoneだと電卓アプリを横向きにして拡張表示にしてから、2ndキーを押すとtan-1のキーが現れます。
a÷bを計算し、最後にatanもしくはtan-1ボタンを押すと角度が表示されるはずです。
もし妙な数値が出た場合は、角度がrad ラジアンになっているかもしれませんので、deg デグリーを押します。
自分の場合だいたいこのような感じに…。
自分の場合、親指〜人差し指間がほぼ200mmの画角と一致(135換算)しますので、絵描きさんが構図を決めている時によく見かけるポーズで、だいたいの構図と選択するレンズを予測できます。
レンズの焦点距離における画角もまたwebで検索するといろいろと出てきます。
例えばこちら…カメラの画角の計算 - 高精度計算サイト
対角だけでなく、垂直水平も分かる方が何かと便利です。被写体の大きさ計算などにも使えますし。
またiPhoneなどスマホアプリでもいくつか出ています。
ひとつ基準を覚えておけば、他の焦点距離のレンズにも応用が効きます。
例えば、200mmの対角画角は約12度…ということは100mmだと倍の24度。50mmは更に倍の48度に。300mmだと÷1.5で約8度となります。
誤差は大きいですが、レンズの焦点距離もまったく数値通りでもないため、あくまで目安としてなのですが、便利ですよ。
2015/01/16
2014/11/22
写真が傾くクセのある人は…
しっかり構えて撮るのなら傾かないけど、気楽に撮るとどちらかに傾いて写真が斜めになってしまう癖ってありますか?
自分は横構図の時は大丈夫なのですが、縦構図になると斜めになりがちです。
これ実は、ファインダーを覗く時に「首が傾いているから」なんです。
首がまっすぐになっているかを意識することで、自然と垂直のとれたフレーミングになると思いますので、試してみてください。
…といっても最近は液晶画面を見ながら撮影というパターンも多いかもしれないので、その場合は当てはまらないかも?
久々の更新なのにちょっと短いのでもうひとつ。
縦構図でカメラを構える時、右手が下?上?正解ってあると思いますか?
ブレにくいのは脇が締まる右手が下の時だと思いますが、手首が固いと上手く構えられなくて、ここでもまた水平が傾いた写真の原因になるかも…。
じゃあ右手が上?これの方が楽ですが、少しだけブレやすくなるかもしれません。
フラッシュを付けて人物を撮るとき…ここで言うフラッシュとはグリップタイプのではなく一般的な上に付けるクリップオンタイプの物ですが、それを使って縦位置で人物を撮る時は顔の前に影が出ない方向で構えます。
顔の前に影が出るより、髪の毛の方へ影が出た方が自然だからです。
例えば被写体が向かって右を向いていたならフラッシュは右側から…右手は下です。左を向いていたなら、その逆…右手が上になります。
縦位置メインで撮るよという人には、通常カメラの上に付けるクリップオンを横へ取り付けるストロボブラケット(エツミ)という便利な物も販売されているので、それを利用するのもいいでしょう。
自分は横構図の時は大丈夫なのですが、縦構図になると斜めになりがちです。
これ実は、ファインダーを覗く時に「首が傾いているから」なんです。
首がまっすぐになっているかを意識することで、自然と垂直のとれたフレーミングになると思いますので、試してみてください。
…といっても最近は液晶画面を見ながら撮影というパターンも多いかもしれないので、その場合は当てはまらないかも?
久々の更新なのにちょっと短いのでもうひとつ。
縦構図でカメラを構える時、右手が下?上?正解ってあると思いますか?
ブレにくいのは脇が締まる右手が下の時だと思いますが、手首が固いと上手く構えられなくて、ここでもまた水平が傾いた写真の原因になるかも…。
じゃあ右手が上?これの方が楽ですが、少しだけブレやすくなるかもしれません。
フラッシュを付けて人物を撮るとき…ここで言うフラッシュとはグリップタイプのではなく一般的な上に付けるクリップオンタイプの物ですが、それを使って縦位置で人物を撮る時は顔の前に影が出ない方向で構えます。
顔の前に影が出るより、髪の毛の方へ影が出た方が自然だからです。
例えば被写体が向かって右を向いていたならフラッシュは右側から…右手は下です。左を向いていたなら、その逆…右手が上になります。
縦位置メインで撮るよという人には、通常カメラの上に付けるクリップオンを横へ取り付けるストロボブラケット(エツミ)という便利な物も販売されているので、それを利用するのもいいでしょう。
2014/11/05
“軍艦島を4K+ドローンで撮ってみたらすごかった【動画】”←に20年以上前撮った写真と同じ場所が!
軍艦島を4K+ドローンで撮ってみたらすごかった【動画】
これ…ここ
↓約20年後
どこで撮ったか覚えてないけど、アパート最上階の共同炊事場かな?
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
おもわずうるっときた…。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
当時空撮の写真が欲しくて、セスナ頼んだら幾らくらいだろうかと考えた事もあった。今だとドローンで撮れちゃうんだよね。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
軍艦島は、資料としては電大が。写真としては雜賀雄二さんがしっかりまとめたから、それ以降それ以上はもう必要ないように思った。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
未だになく、必要な写真とは、現存して人が住んでいた頃と現在を、同じ場所で比較した写真だろうけど、今まで出てこなかったとこを見ると当時の写真が少ないのだろう。
また崩壊したりで昔とあまりに違いすぎて、面影が残っている個所も少なかったり。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
現地で雜賀さんに偶然会った時、ちょうど今まで撮った写真を持ってたので見て貰った。君は全景は弱いけどアップのは面白いと言われたのを覚えてる。
軍艦島来た人は誰でもその外観に圧倒されて建物だったりを撮る。ぼくもそうだったけど、実際全景は良く分からないと言うか興味を持てなかった。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
最初は何を撮っていいのか分からなかった。被写体負けというやつ。だからとにかく撮った。何度か行く内に段々と見えてきた。自分の撮るべき物は何か。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
雜賀雄二さんのサイト→http://t.co/owLpWNeaAc
当時の軍艦島…端島の写真もあります。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
東京に帰ってきた時に思った「人はここにいてここにいない」…その意味は自分でも分からない。ただそう心に浮かんだだけで。
人が「住む」とは何ナノか。人の「営み」とは何ナノか。ましてや人生やら歴史やら…足りない頭じゃムズカシ過ぎた。
— ぽん (@ponhouse2006) 2014, 11月 5
2014/03/22
スランプについて考えた
自分の思考が先に行ってしまい、まだ体得が出来ていない状態。
「目が肥える」という言葉のように、自分の中で「こうありたい」という物が創られるが、まだそれを叶えられるほどの腕がない、ズレた状態なのではないだろうか。
腕というと技術的な事だけと考えてしまいそうだが、ここで言う「腕」とは思考含まれ、まだ完全な「理解」には至っていない状態。
先走っているのだから、実際にはレベルが下がっていなくとも、相対的にはレベルが下がっているように感じる。
だから腕がイメージに追いついた時=スランプを乗り越えた時、人は成長すると言えるのではないだろうか。
その為には反復という鍛練が大事だ。
反復して体にイメージを叩き込むこと。
数学で難しい問題を一問解いて終わりにしていたら、いつまで経っても本当の意味では身に付かない様に。反復して何問も解き、ようやく本当の「理解」にたどり着ける。
「目が肥える」という言葉のように、自分の中で「こうありたい」という物が創られるが、まだそれを叶えられるほどの腕がない、ズレた状態なのではないだろうか。
腕というと技術的な事だけと考えてしまいそうだが、ここで言う「腕」とは思考含まれ、まだ完全な「理解」には至っていない状態。
先走っているのだから、実際にはレベルが下がっていなくとも、相対的にはレベルが下がっているように感じる。
だから腕がイメージに追いついた時=スランプを乗り越えた時、人は成長すると言えるのではないだろうか。
その為には反復という鍛練が大事だ。
反復して体にイメージを叩き込むこと。
数学で難しい問題を一問解いて終わりにしていたら、いつまで経っても本当の意味では身に付かない様に。反復して何問も解き、ようやく本当の「理解」にたどり着ける。
2014/03/21
いい写真とは…
これに関してはずっと考えていて、未だにこれだ!という答は出ず。
少しスランプ気味だったので「いい写真」とはどんな風に受け止められているのだろうとググってみました。
たくさん参考になるサイトがあった中でいくつか…。
朝日新聞デジタル:良い写真とは? 上手な写真とは?
与えられた物をただそのまま受け入れるのではなく、いったいどういう事なのか。何が写っているのか。何を言いたいのか。
写真って、それを伝える楽しさでもあり、それを想像する楽しさでもある。
ずっと自分がそれを好きになり、そして感動する事が大事だと思っていたけれど、もしかしたらそうとも限らないのかもしれない。
全然思い入れもなく何気なく撮った一枚が、誰かの心に響く事もきっとあるから…。となると一体…。
技術やら機材やらなんて、ほんとに表面的な物で、写真の凄さってもっと内側の所にある物だと。それはまさに、その人の人となりであり、そこを磨くには人間として成長して行くしかないのだろうと。
最後に、自分が昔最も感銘を受けたユージンスミスの言葉を紹介して終ります。
少しスランプ気味だったので「いい写真」とはどんな風に受け止められているのだろうとググってみました。
たくさん参考になるサイトがあった中でいくつか…。
朝日新聞デジタル:良い写真とは? 上手な写真とは?
動画では生まれにくい「想像する」という楽しみ、というよりはこれは「快楽」かもしれない。そしてこれが写真の持つ醍醐味なのかも知れない。動画では生まれにくい「想像する」という楽しみ、というよりはこれは「快楽」かもしれない。そしてこれが写真の持つ醍醐味なのかも知れない。限られたフレームに一瞬を閉じこめる。綺麗風に言うとこんな感じだけど、自分もそう思う。この「想像する」という楽しみは、小説の楽しみ方にも似ている。限られた情報から想像する楽しさ…。昔、オレ流写真論の第一回で書いた「写真は自由」…それは撮る側の自由でもあり、また観る側の自由でもある。
与えられた物をただそのまま受け入れるのではなく、いったいどういう事なのか。何が写っているのか。何を言いたいのか。
写真って、それを伝える楽しさでもあり、それを想像する楽しさでもある。
いい写真の定義は写真の用途によって変わってくるということを頭に入れておく必要があります。
「読者に行動を起こさせる写真がいい写真」広告のプロならではの視点。言葉を変えると「観た人が感動する写真」「心が動く動く写真」…まさにそれはいい写真だと思います。そしてそれには自分の心が先ず動かないときっと撮れない…いや、もしかしたら撮れるのか?
ずっと自分がそれを好きになり、そして感動する事が大事だと思っていたけれど、もしかしたらそうとも限らないのかもしれない。
全然思い入れもなく何気なく撮った一枚が、誰かの心に響く事もきっとあるから…。となると一体…。
「いい写真」について悩むのは、今日からもうやめよう - NAVER まとめ
まとめなので参考になりそうなリンクがたくさんあります。
ただ、自分はもっと悩みたい。写真を続ける限り、考えて、悩んで、自分なりの何かを見つけたい。
まとめなので参考になりそうなリンクがたくさんあります。
ただ、自分はもっと悩みたい。写真を続ける限り、考えて、悩んで、自分なりの何かを見つけたい。
そういや昔からレンズはあまり持ち歩かなかったなあ…。ずっと貧乏なのもあるけど。28と85だけバッグに入れてた。50mmは持ってなかったんだけど、最近はほとんどが50mm一本だ。
というのはツイッターでつぶやいたので、ついでに載せたのですが、ある意味どうでもいい話(笑)
自分が誰か写真を撮り始めたい人、撮っている人に伝えたい事を書くとしたら、これはポイントとして大きく占めるかなあ…。
自分は使っているカメラの機能は多分100%知っているし使っていると思うけど、それは機械が好きだからという部分が大きい。ほんとそれだけで、カメラの機種やメーカーにこだわりはそれほどなく、これから写真をはじめる人には、出来れば純粋に写真という物を撮る楽しみに浸って欲しいと思っている。
(機材について云々言ってる人達の空気がとても嫌いというのが大きい…。)
というのはツイッターでつぶやいたので、ついでに載せたのですが、ある意味どうでもいい話(笑)
自分が誰か写真を撮り始めたい人、撮っている人に伝えたい事を書くとしたら、これはポイントとして大きく占めるかなあ…。
自分は使っているカメラの機能は多分100%知っているし使っていると思うけど、それは機械が好きだからという部分が大きい。ほんとそれだけで、カメラの機種やメーカーにこだわりはそれほどなく、これから写真をはじめる人には、出来れば純粋に写真という物を撮る楽しみに浸って欲しいと思っている。
(機材について云々言ってる人達の空気がとても嫌いというのが大きい…。)
撮影者の心の内をどんなにごまかしても等身大が写ってしまう。強いて言うならばそれ以上は絶対に撮ることが出来ない。どんなに技術がある写真家でも人間としての中身が未熟であれば、それが写る。最近特にそう思います。
技術やら機材やらなんて、ほんとに表面的な物で、写真の凄さってもっと内側の所にある物だと。それはまさに、その人の人となりであり、そこを磨くには人間として成長して行くしかないのだろうと。
最後に、自分が昔最も感銘を受けたユージンスミスの言葉を紹介して終ります。
写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま――ほんのときたま―― 一枚の写真、 あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの――たぶんすくなからぬもの――は影響を受け、 道理に心をかたむけ、誤りを正す方法 を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものの、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。 わたしの生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが。私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物をいう。それが私 ――そしてアイリーン――が水俣で写真をとる理由である。
2014/02/15
- オレ流写真論 (4) - 散歩撮影のススメ
写真と一言で言っても、風景、人物、花、飛行機、電車…数限りない被写体があります。
この中で近年静かなブームになっている、日常の何気ない1コマを切り出すスナップ…特にカメラをぶら下げ散歩しながら撮る「お散歩写真」について取り上げてみます。
好きな時に好きな様に撮れる事がお散歩写真の利点です。
さあ撮るぞ!と身構えるワケでもなく、いいものに出逢えたらラッキー!くらいの気軽さは、慣れると楽です。
もし、いいものに出逢えなかったとしても、散歩をしたという事で心も身体も健康になります。
というと何か年寄り向けの話かな?と思うかもしれませんが、出来れば若い世代の方に経験して貰いたいのが、この散歩撮影です。
もし上手く撮れなかった時は、他の人の撮った写真を見ていろいろと研究する人も多いかと思います。
「ああ撮れば良かったのか…。」
「あのカメラなら綺麗に撮れるのか…。」
「あのレンズならこんな風に写るのか…。」
三度の飯よりカメラが好きという方は、すぐに機材を買えば済む事なのかもしれませんが、それでも頻繁に買い替える事は多くの人にとって、なかなか難しい事でしょう。
揚げ句の果てに
「あのレンズさえあれば、もっといい写真が撮れる…。」
「あいつの写真は機材頼みだ…。」
どこかでこう思ってしまっては、気持ちよく撮影出来ませんし、やっかむ自分に苦しみます。
下手をすると写真に対する興味さえも失ってしまいかねません。
・新しい機材が手に入った時の気持ちと、さらにそれよりも新しい機材が発表された時の気持ち。
・それと先ほどのヒガミにも似た感情を持ってしまっていたら、その時の気持ち。
これらを一度良く考えてみて、自分にとって本当に欲しい必要なものは何かを考えてみると、気持ちよく「写真」にハマる事が出来るかもしれません。
それもそのはず、人の目を引くような写真は「見た事がない…」が基本にあるからです。
まだ見た事のない風景。
めったに見られない夕焼け。
周りにはいない様な人々…。
これらは見る側にとっても「強い刺激」として映ります。
対して「お散歩写真」は多くの人が普段「目に入っている」普通の景色。何も目新しくない日常だったりします。
この目新しさの少なさをカバーする為に、「お散歩写真」はトイカメラで撮るなど、写真として普通とは少し違う感じを出しているものが多いかと思いますが、肝心の被写体はどうでしょう?「お散歩写真」といえども、被写体に何かしらの面白さは必要です。
ただ、撮る側としては、この「面白さ」を追求しすぎては逆に撮れなくなってしまいます。自分の中にも「強い刺激」は残っており、それに匹敵する又はそれ以上の被写体を探していては、なかなか巡り合わないからです。
最初、せっかく「?」と感じる事が出来たのに、撮ろうとしてるうちに頭で考え始め、シャッターが切れなくなる…そんな経験はありませんか?
多分無意識にでも、意識的にでも何かと比較してしまっているのだろうと思います。それらと比較して、「やっぱりツマラナイや…」となっているのではないでしょうか?でもそれは本当にツマラナイものでしょうか?
刺激が少ないだけではないのでしょうか?
大味激辛の食べ物に対し、あっさりさっぱりな日本食…日本食は美味しくないものですか?
アクション、CGバリバリの映画に対し、ストーリー重視の映画…ストーリー重視の映画はツマラナイ映画ですか?
まずは撮ってみて下さい。
その上で、表現する為の「絞り」や「シャッタースピード」「レンズ」などのテクニックが必要ならば、構える前に決めてしまいましょう。
ファインダーを覗いているうちに、どんどんと頭で余計な事を考え始め、撮らなくなってしまう事もありますから。
自分で制約を付けてみるのもいいかもしれません。
今日はレンズは35mmで絞りはf8だけとか、「P」しか使わないとか。明日は28mmでとか。余計な事を考えずに済みます。
高機能のカメラだからといって、全ての機能を使いきらなくても何も問題はありません。
慣れてきて直感的にその違いが分かるようになってきたら変えてみればいいと思うので、それまでは全ての絞りや焦点距離などを試さなくてもいいと思います。
〜「散歩撮影」をする事でしか気づかない発見とワクワクが沢山あります。
それらは、写真ってこういうものだ、カメラってこういうものだ、楽しいってこういうものだ、幸せってこういうものだ…といった既成概念も変えてくれるかもしれません。
大きい刺激ばかりに慣れすぎて、繊細な事に気付きにくくなっている今の世の中だからこそ、気張らない「散歩撮影」を勧めます。
2010.7.14
この中で近年静かなブームになっている、日常の何気ない1コマを切り出すスナップ…特にカメラをぶら下げ散歩しながら撮る「お散歩写真」について取り上げてみます。
ストレスの発散
僕の写真も、基本お散歩写真です。被写体は街角スナップではないですが、基本姿勢はそれを撮っている他の方々と近いと思います。好きな時に好きな様に撮れる事がお散歩写真の利点です。
さあ撮るぞ!と身構えるワケでもなく、いいものに出逢えたらラッキー!くらいの気軽さは、慣れると楽です。
もし、いいものに出逢えなかったとしても、散歩をしたという事で心も身体も健康になります。
というと何か年寄り向けの話かな?と思うかもしれませんが、出来れば若い世代の方に経験して貰いたいのが、この散歩撮影です。
機材に追われるストレス
誰もが魅力的に感じる被写体に出逢えた時、このサイトを読んでいる方ならばカメラさえ持っていればきっと写真を撮る事と思います。もし上手く撮れなかった時は、他の人の撮った写真を見ていろいろと研究する人も多いかと思います。
「ああ撮れば良かったのか…。」
「あのカメラなら綺麗に撮れるのか…。」
「あのレンズならこんな風に写るのか…。」
三度の飯よりカメラが好きという方は、すぐに機材を買えば済む事なのかもしれませんが、それでも頻繁に買い替える事は多くの人にとって、なかなか難しい事でしょう。
揚げ句の果てに
「あのレンズさえあれば、もっといい写真が撮れる…。」
「あいつの写真は機材頼みだ…。」
どこかでこう思ってしまっては、気持ちよく撮影出来ませんし、やっかむ自分に苦しみます。
下手をすると写真に対する興味さえも失ってしまいかねません。
・新しい機材が手に入った時の気持ちと、さらにそれよりも新しい機材が発表された時の気持ち。
・それと先ほどのヒガミにも似た感情を持ってしまっていたら、その時の気持ち。
これらを一度良く考えてみて、自分にとって本当に欲しい必要なものは何かを考えてみると、気持ちよく「写真」にハマる事が出来るかもしれません。
被写体の刺激
「お散歩写真」は一般的に人の目を引くような凄い写真は少なく、ある意味地味な写真です。それもそのはず、人の目を引くような写真は「見た事がない…」が基本にあるからです。
まだ見た事のない風景。
めったに見られない夕焼け。
周りにはいない様な人々…。
これらは見る側にとっても「強い刺激」として映ります。
対して「お散歩写真」は多くの人が普段「目に入っている」普通の景色。何も目新しくない日常だったりします。
この目新しさの少なさをカバーする為に、「お散歩写真」はトイカメラで撮るなど、写真として普通とは少し違う感じを出しているものが多いかと思いますが、肝心の被写体はどうでしょう?「お散歩写真」といえども、被写体に何かしらの面白さは必要です。
ただ、撮る側としては、この「面白さ」を追求しすぎては逆に撮れなくなってしまいます。自分の中にも「強い刺激」は残っており、それに匹敵する又はそれ以上の被写体を探していては、なかなか巡り合わないからです。
最初、せっかく「?」と感じる事が出来たのに、撮ろうとしてるうちに頭で考え始め、シャッターが切れなくなる…そんな経験はありませんか?
多分無意識にでも、意識的にでも何かと比較してしまっているのだろうと思います。それらと比較して、「やっぱりツマラナイや…」となっているのではないでしょうか?でもそれは本当にツマラナイものでしょうか?
刺激が少ないだけではないのでしょうか?
大味激辛の食べ物に対し、あっさりさっぱりな日本食…日本食は美味しくないものですか?
アクション、CGバリバリの映画に対し、ストーリー重視の映画…ストーリー重視の映画はツマラナイ映画ですか?
まずは撮る!
せっかく自分の心が「お?」と思ったのですから、ためらう必要はありません。まずは撮ってみて下さい。
その上で、表現する為の「絞り」や「シャッタースピード」「レンズ」などのテクニックが必要ならば、構える前に決めてしまいましょう。
ファインダーを覗いているうちに、どんどんと頭で余計な事を考え始め、撮らなくなってしまう事もありますから。
自分で制約を付けてみるのもいいかもしれません。
今日はレンズは35mmで絞りはf8だけとか、「P」しか使わないとか。明日は28mmでとか。余計な事を考えずに済みます。
高機能のカメラだからといって、全ての機能を使いきらなくても何も問題はありません。
慣れてきて直感的にその違いが分かるようになってきたら変えてみればいいと思うので、それまでは全ての絞りや焦点距離などを試さなくてもいいと思います。
〜「散歩撮影」をする事でしか気づかない発見とワクワクが沢山あります。
それらは、写真ってこういうものだ、カメラってこういうものだ、楽しいってこういうものだ、幸せってこういうものだ…といった既成概念も変えてくれるかもしれません。
大きい刺激ばかりに慣れすぎて、繊細な事に気付きにくくなっている今の世の中だからこそ、気張らない「散歩撮影」を勧めます。
2010.7.14
- オレ流写真論 (3) - 感性のはなし
感性のはなし。
生まれ持っての感性。昔長崎の高島と言う島へ渡った時、島の子供達にカメラを渡して、遊びながら写真を撮りあった事がある。
下は幼稚園くらい、上は小学校3年生くらいだったろうか。
フルマニュアルのカメラ…露出はとりあえず固定して、ピントは被写界深度でカバー。数人でカメラを取り合いしながら写していた。
東京に帰ってきて自分の写真とともに現像したら、さすが子供の撮った写真ばかり並ぶ中に、意外にも目を引くスリーブがあった。
ピントはボケていたものの、その子が興味を持ったものが、そのコマからしっかりと伝わってきた。そのときの状況を思い出すと、多分一番熱心に撮っていた男の子が撮ったものと思われる。
構図なんて本で見るような何対何とか対角線とか黄金分割とか、そんなもんまったく無視だけど、バランスがしっかりとれ、余計なものが入り込む余地もない程、その被写体にしっかりと寄ったフレーミング。
被写体は大人ならカメラを向けることもないだろう、ドロ団子とか友達の体の「一部」だったり、それはまさにその子が見た、その子が興味を持った視点だった。
次に高島のその公園へ行った時、まあ誰かしらいるだろうと、みんなが写ったプリントを持って出たのだが、結局あの日以来会っていない。今頃どうしているだろう。
ひとはいつからか…もう物心がつく頃には感性の差やセンスと呼ばれるものは出来てしまっているのだろう。この写真を見た時そう思った。
感性を鍛える。
初めて言葉をしゃべったのはいつですか?初めて文字を書いたのはいつですか?
個人差でばらつきはあるものの、ほとんどの人は大人になるまでに会話が出来、文章が書ける。ただ、しゃべりがうまい人もいれば苦手な人もいるし、字がきれいな人や文章がうまい人もいれば、からっきし駄目な人もいる。
感性というものも、それらと同じ様なものと思う。自分には感性がない、センスがないと思うのなら鍛えて磨きあげればいい。皆と同じように生きて来ているつもりでも、ちょっとしたことの積み重ねで、ゆっくりゆっくり差が開いてしまっているだけで、ならその「ちょっとしたこと」に気づけさえすれば、感性は誰にでもまだまだ伸びる余地があるはず。
写真だけではない。
写真の感性を鍛えるからといって写真だけを見るよりも、いろいろな事を経験した方がいい。いいと思う事ばかりでなく、悪いと思うような事も沢山。写真に写っているものは写真の世界にだけあるものではなく、現実の世界にあるものだ。また写真なんてわずか200年足らずの歴史しかない狭い世界に留まる必要もない。写真と言う物にこだわらず、いろいろな物を見て、そして感じて、考える事が大事だ。
勉強やスポーツと同じ。
使ってないと落ちてくる。自分が続けられるくらいのペースで無理をせず、それでも理想は毎日心に刺激を与えよう。片時離さずカメラを持ち歩かなくたっていい。その代わり、カメラがない時には、心の中で写真を撮ろう。
それは気づかない位ゆっくりかもしれないが、だんだんと積み上げられ、いつか写真に生きる時が来るはず。今まで撮っていた癖もあってか、写真にはなかなか現れないかもしれないが、何かをつかんだ時に段階的に伸びるものだから、焦らず続ける事が大切だ。
2009.6.26
- オレ流写真論 (2) - じっくり撮る事のススメ。
じっくり撮る事のススメ。
写真がうまくなりたければ、とにかく量を撮る事。良く言われる事だが、確かに間違いはない。
ただ…。
カメラがデジタルになり、いくらシャッターを切ってもフィルム代はかからなくなった。そんな理由からか銀塩の時よりも気楽にシャッターが切れるので、ついつい大量に撮ってしまう人も多いのではないだろうか。
また手振れ補正が当たり前になり、カメラも小型化され、三脚を使う人が少なくなってきてはいないだろうか。
かくいう自分も大体の撮影は三脚ナシで済ましてしまう。でも実は三脚は写真をブレにくくさせるだけの物ではなかったりする。
最後に一球入魂…一写入魂で撮ったのはいつですか?
「写真は構図!」とか「ここはF幾つで!」とかいろいろ考えるよりももっと大切な事があると1回目に書いたばかりだけれど、人に伝えるのなら写真を魅せる力も必要…。構図を鍛える為には、一枚一枚じっくりと構えて撮る事も大切です。
昔、まだファインダー交換の出来る一眼レフがあった頃…カメラのファインダーを外して、遠目からそのスクリーンに映る像を見て構図を決めていた時があります。
中判や大判カメラのそれと比べてあまりに小さい像。でもファインダーを覗いた目の前に広がる世界よりも、遥に写真に近い像。今で言えば液晶を見ながら撮るような感じでしょうか。
それを見ながら三脚のパーン棒を緩め、頭の中のイメージと目の前のイメージをリンクさせながらコツコツと微調整し、露出を決めて撮影。ブラケットはどうしても露出に自信のない時だけで、基本的には無しで…それはお金がなかったからだけなんだけど。
飾る写真をイメージして
額に入った大きく延ばした自信作。写真を撮る時に、そんな写真をイメージして撮ろう。想像出来ない位に大きな写真ではなく、家に飾る程度の、自分が想像しやすい大きさの写真を。撮った写真はプリントしないでPCで閲覧…そういう人もイメージしよう。絵を描く時に見える物。
絵の得意な人もそうでない人も、その時の事を思い出して見て下さい。まずはモチーフを決めて…何も書かれていない真っ白な紙やキャンバスを置き、筆なりペンなりを手に取って…何度も何度もモチーフとキャンバスを行ったり来たり。そうしているうちに今まで気付かなかった物が見えて来たはずです。
最初からそこにあったはずなのに、気付く事の出来なかった細かいところや裏側が。
写真も同じ。じっくりと被写体を見る事で見えてくる物があります。それがファインダーを覗いてシャッターを切っているだけで見えてくる時もありますが、そうでない時もあります。見えたつもりになって、撮れたつもりになって切り上げて、後になって後悔する事もあります。後悔したくないから、時間の許す限りいろいろ(露出を変えたり、構図を変えたりする事を以外にも)試したり。先に書いたように三脚で構えてじっくり被写体に向かう事も、一歩離れて見てみる事も、目をつぶって空気を感じる事も。
きっと無我夢中でファインダーを覗いて撮っていた時とは違う物が見えると思います。
2009.6.17
- オレ流写真論 (1) - 人は何故写真を撮るのだろう。
人は何故写真を撮るのだろう。
専門学校に行ってた時ふと悩んで撮れなくなった事がある。ある意味、人は何故生まれてきたかの様な命題であり、いくら考えても答えの出ない事だ。
当時出た答えは「自分の為に撮る」だった。言葉にするとちょっと違うニュアンスになるが、広義な意味での「自分の為」だ。忍び込んだ確か2年生向けの竹内敏信氏の講演で、それに気付かされた。
自分の為とは自分が満足する為…技術の習得だったり、挑戦だったり、金だったり…いろいろな意味で自分にとってプラスになるから、だから写真を撮る。多分そんな感じで自分の中で納得したのだろう。
しかし正直なところ20年経った今も答えは出ていない。きっとずっと出ない。いや、ずっと考えて行かなくちゃならない事なのだろう。そんなことも氏は言っていた気がする。
自分の為となると難しい…どこからか、まあいいか、もういいかって気持ちが湧いてくる。多分まったくの趣味であったら、それでやめてしまってもいいのだろう。自分が撮りたい時に撮って、撮りたくない時は撮らない…何も問題はない。
モチベーションを保つ為の動機を見つけられない時、自分はとにかく写真を撮る。出来るだけ何も考えないようにしながら、ただただシャッターを切る。それが経験上のスランプ脱出方法だ。そうしてるうちにまた少し進む事が出来る。
写真は自由だ。人によってそれが物の記録であったり、時の記録であったり、物の表現であったり自分の表現であったり、決まった事など何もない。だからこそいろいろなカメラでいろいろな被写体を撮る人達がいる。カメラなんて目的に合う物なら本当は何だっていいんだ。
次回、良い写真ってなんだろう…と続きたいところだけど、勢いで書かないと絶対書かないと思うから続けちゃいます。
良い写真ってなんだろう。
カメラは良いカメラが欲しい。良いカメラで良い写真を撮りたい。そう思う人は多いだろう。でも良い写真って何だろう?
ボケてない写真?ブレてない写真?
それは基本で構図が教本通りにバッチリの写真?
シャッターチャンスがバッチリの写真?
色が綺麗な写真?
みんながうまいと言ってくれる写真?
多分どれでもあってどれでもない…。
先程、写真は自由だと書きました。ということは良い写真だって人それぞれだし、自由なんだから決められない。ましてコンテストとかその審査員の好みだから金賞が一番良いわけじゃない。学校の美術とか音楽だって成績付けて分ける物じゃないって思う人いると思います。
自分もそう思った時がありました。確かに一位を決めるのは難しいです。最終的には好みだって出てくると思います。ただ良い写真、駄目な写真は明確に別れます。
良い写真は存在する…じゃあいったいそれはどんな写真なのか。
良い写真≠上手い写真の様な感じでイコールではない。
結局写真は人に見せてナンボ。人に伝える事が出来る写真が良い写真です。素晴らしい風景を見た時の感動を…自分が何に心を動かされ、自分がその時どう思ったのか、それをその場に全くいない人に伝えられるか。そういう事だと思います。
写真には詩のように歌詞がないから、映画のように言葉も効果音もないから、だからこそ二次元の限られた枠の中で、その伝えたい事が一番うまく伝えられるようなシャッターチャンスで撮ったり、より引き出せる構図で撮ったりすることが重要になります。そして、その方法こそが自由だと、無限の方法があると思っています。
「バッチリ写ったよ」じゃなくて「バッチリ伝えられたよ」が本当の良い写真と信じてます。
この被写体にはこのカメラが必要、このレンズが必要、この構図で、この絞りで、このシャッタースピードで…そんなことより、
この被写体に対して、どこが好き?どれだけ好き?どんな気持ち?…それの方がとても大事で、そしてこれが今写真を撮っている人、これから撮ってみようと思う人達に忘れて欲しくないと願う事です。
2009.6.11
2014/01/10
「被写体の絞り込み」ということを考える
写真に撮ると忘れやすくなる、けど接写すれば覚えやすくなる:研究結果 : ライフハッカー[日本版]
この記事を読んで思ったこと。ツイッターへの投稿のまとめです。
接写だと記憶に残ると言うのは納得。
写真撮る時と絵を描く時の大きな違いは、被写体に対しての見ている時間、見ている方向(角度とかじゃなく、物の見方、捉え方という意味で)。
だからじっくりと対象物を観察する絵の方が、それに対して新たに気付くことが多いし、その分記憶にも残る。
この記事を読んで思ったこと。ツイッターへの投稿のまとめです。
接写だと記憶に残ると言うのは納得。
写真撮る時と絵を描く時の大きな違いは、被写体に対しての見ている時間、見ている方向(角度とかじゃなく、物の見方、捉え方という意味で)。
だからじっくりと対象物を観察する絵の方が、それに対して新たに気付くことが多いし、その分記憶にも残る。
マクロ撮影は被写体が絞り込まれて整理されやすいので、自分の中でも「コレ!」というイメージが掴みやすい。
また、ピント合わせや構図もミリ単位レベルなので、じっくりと被写体を観察し、撮り方を考える必要がある。
だから接写の撮影だと記憶に残りやすいのではないかな。
また、ピント合わせや構図もミリ単位レベルなので、じっくりと被写体を観察し、撮り方を考える必要がある。
だから接写の撮影だと記憶に残りやすいのではないかな。
ただ、広い視野で見る風景写真であっても、まるで絵を描くかのように向かい合ったら記憶にももっと残りやすくなるだろうし、更に新しい見方ができる様になる。
0から創り上げる絵と、既にそこにある物を1から創り上げる写真とでは、創造力という面で雲泥の差がある。
「想像」を掻き立てられるまでには、パッと見てパッと撮るだけじゃ不十分。それが出来るのは経験によって大局観を得た時だけ。
「想像」を掻き立てられるまでには、パッと見てパッと撮るだけじゃ不十分。それが出来るのは経験によって大局観を得た時だけ。
写真撮る時に多くの人は「いいな」と思ってシャッターを切るわけだけど、その時「何を、どうして、自分はいいなと思ったのか」考える人はきっと少ないだろう。
そこを考えることが、被写体を絞り込み、テーマを明確化する為に必要な物。
そこを考えることが、被写体を絞り込み、テーマを明確化する為に必要な物。
自分の中でテーマが明確化されていなければ、他人にそれを伝えるのはムズカシイ。
2013/09/26
丹野章写真展「地底のヒーローたち -長崎県高島炭鉱-」 - デジカメ Watch
端島(はしま)…別名軍艦島の隣にある島です。こちらは今も人が住んでいて、もう大分前になりますが、自分が端島へ行ってた時に中間地点として立ち寄っていました。
ちょうど今日の新聞に載っていたのですが、建築物の劣化の為、「地元長崎市の専門家委員会が「画期的な保存方法が確立しない限り、崩壊し数十年の間に多くが失われる可能性がある」と指摘」軍艦島「崩壊の恐れ」 世界遺産登録に懸念 - 中国新聞という話もあります。
確かにとても速いスピードで崩壊は進んでおり、自分が通っていた間でも映画館が崩壊してなくなりました。木はもちろんコンクリもボロボロで、中の鉄筋もどうなっている事やら…。これを世界遺産に登録するとなると、これら崩れかけの建築物をすべて補修、維持しなければならなくなるのですが、そうなると多分ビックリするくらいの金額が費やされるかと思います。
維持するには流石にもう遅すぎます。
そういうこともあり、また個人的には、もうあの島は(人の欲という物から)ほっておいて欲しいと思う気持ちもあり、世界遺産登録に関しては反対なのです。
丹野章写真展「地底のヒーローたち -長崎県高島炭鉱-」 - デジカメ Watch
ちょうど今日の新聞に載っていたのですが、建築物の劣化の為、「地元長崎市の専門家委員会が「画期的な保存方法が確立しない限り、崩壊し数十年の間に多くが失われる可能性がある」と指摘」軍艦島「崩壊の恐れ」 世界遺産登録に懸念 - 中国新聞という話もあります。
確かにとても速いスピードで崩壊は進んでおり、自分が通っていた間でも映画館が崩壊してなくなりました。木はもちろんコンクリもボロボロで、中の鉄筋もどうなっている事やら…。これを世界遺産に登録するとなると、これら崩れかけの建築物をすべて補修、維持しなければならなくなるのですが、そうなると多分ビックリするくらいの金額が費やされるかと思います。
維持するには流石にもう遅すぎます。
そういうこともあり、また個人的には、もうあの島は(人の欲という物から)ほっておいて欲しいと思う気持ちもあり、世界遺産登録に関しては反対なのです。
丹野章写真展「地底のヒーローたち -長崎県高島炭鉱-」 - デジカメ Watch
2013/09/10
- オレ流写真論 (11) - 写真はC.G.化して来ているのか。
どこまでが写真か。どこからがCGか。
このサイトを立ち上げた頃、レタッチの範囲はどこまでなら写真だといえるのか…といったことをチラッとブログに書いた覚えがある。
色温度を変えた写真は写真といえるのか。
色相を回転させた写真は写真といえるのか。
物の形を変形させるのは?物を消したり、追加するのは?
「同じものをもう一度再現できること」そこまでならばコンピューターグラフィックスではなく「写真」というのが当時の自分の考えだ。
今は変わっていないかというと、正直悩んでいる所もある。
このサイトを立ち上げた頃、レタッチの範囲はどこまでなら写真だといえるのか…といったことをチラッとブログに書いた覚えがある。
色温度を変えた写真は写真といえるのか。
色相を回転させた写真は写真といえるのか。
物の形を変形させるのは?物を消したり、追加するのは?
「同じものをもう一度再現できること」そこまでならばコンピューターグラフィックスではなく「写真」というのが当時の自分の考えだ。
今は変わっていないかというと、正直悩んでいる所もある。
2013/05/15
iPhoneで撮った写真を選抜しました。(2011-2012年版)
今更ですが2011〜2012年にかけてiPhoneで撮った写真を整理したのでアップします。
iPhoneの機種は3GSと4S。この期間、iPhoneだけで978枚tumblrにポストしていたので、あまりに多いため、気分で131枚選んでみました。なので、後になって変動もあるかも知れません。
選抜はほんと気分でやったので、後になってから何故こんなのが…という写真もあるかと思いますが(笑)
iPhone Pics 2011-2012
iPhoneの機種は3GSと4S。この期間、iPhoneだけで978枚tumblrにポストしていたので、あまりに多いため、気分で131枚選んでみました。なので、後になって変動もあるかも知れません。
選抜はほんと気分でやったので、後になってから何故こんなのが…という写真もあるかと思いますが(笑)
iPhone Pics 2011-2012
2013/05/02
- オレ流写真論 (10) - 写真のHow To本は読まない。
写真に大切な6つのデザイン要素とその効果的な使い方 | コリス
↑とても勉強になる内容でとにかくメチャクチャお勧めです!
被写体を分析し、それがどういった印象を与えるか。
そのシェイプだけでなく、色や光などが見る側にどういった印象を与えるのか。
日本のメディアは横並び。
日本には非常に多くの写真に関する本が出ていますが、そのほとんどは何分割とかS字とか構図の作り方的な似たような内容だったり、また、こうやって撮る!(例えば花は前ボケで余計な所を隠すとか)みたいなテクニック的な内容だったり…。
なんていうか日本の勉強方法にも似てる(苦笑)。
これはこれで間違った事は言っていないし、勉強にもなるんだけど、あまりにカチカチで、真面目に読みすぎるとせっかく最初は個性を持っていたのに誰しも同じ写真になってしまう弱さもあります。
↑とても勉強になる内容でとにかくメチャクチャお勧めです!
被写体を分析し、それがどういった印象を与えるか。
そのシェイプだけでなく、色や光などが見る側にどういった印象を与えるのか。
日本のメディアは横並び。
日本には非常に多くの写真に関する本が出ていますが、そのほとんどは何分割とかS字とか構図の作り方的な似たような内容だったり、また、こうやって撮る!(例えば花は前ボケで余計な所を隠すとか)みたいなテクニック的な内容だったり…。
なんていうか日本の勉強方法にも似てる(苦笑)。
これはこれで間違った事は言っていないし、勉強にもなるんだけど、あまりにカチカチで、真面目に読みすぎるとせっかく最初は個性を持っていたのに誰しも同じ写真になってしまう弱さもあります。
2013/05/01
人物を入れるスナップ撮影について
SPEED上原多香子、盗撮被害に直談判 悲痛な想いを告白 - Ameba News [アメーバニュース]
この記事を読んでいて思った事。
まず芸能人と一般人は法律的には別扱いされる。
そして一般的に言われている「盗撮」って法律的には問題は問題ないんだよね。
ただプライバシー権やら肖像権やら色々と引っかかってくるものはあっても…。肖像権自体少し間違って解釈されてたりもするからムズカシイ。
盗撮は犯罪ですってコメントもあるけど、盗撮がストレートに犯罪として扱われるのは、性的なものに限ったりする。
だけど一般的には、もうそういう解釈なんだろうね。
せっかく写真サイトなので、人物を入れるスナップ撮影に関して、ここで書きたい所だけど、もう正直この手の話は疲れた。ほんと疲れた。
個人的には被写体を誹謗中傷するなど悪意を持った撮影でなければ、大体のものはいいと思うのだけど、いろんな人がいるからその辺は臨機応変に対応したい。
写真学校へ行ってた時、「もっと正面から近づいて撮れ」と言われた。
それはかなり勇気がいる事。なので最初の頃は遠くから後ろ姿だったり、歩いてる横向きだったり。
でも正面からの写真って、やっぱり違うんだ。それこそ今そこにいる「人」なんだよね。それが今はムズカシイ。
スナップ撮影するにあたって、男性より女性は少し有利。特に若い女性。そして男性はイケメンの方が有利。服装も普段着よりスーツやメッチャクチャお洒落な格好をしていた方が有利。中身はどんな人か解らなくとも、人ってそんなものだから、これからスナップ撮影する人は、これプラス「笑顔」、そして「撮らせてもらっている」ということを忘れずに。
この記事を読んでいて思った事。
まず芸能人と一般人は法律的には別扱いされる。
そして一般的に言われている「盗撮」って法律的には問題は問題ないんだよね。
ただプライバシー権やら肖像権やら色々と引っかかってくるものはあっても…。肖像権自体少し間違って解釈されてたりもするからムズカシイ。
盗撮は犯罪ですってコメントもあるけど、盗撮がストレートに犯罪として扱われるのは、性的なものに限ったりする。
だけど一般的には、もうそういう解釈なんだろうね。
せっかく写真サイトなので、人物を入れるスナップ撮影に関して、ここで書きたい所だけど、もう正直この手の話は疲れた。ほんと疲れた。
個人的には被写体を誹謗中傷するなど悪意を持った撮影でなければ、大体のものはいいと思うのだけど、いろんな人がいるからその辺は臨機応変に対応したい。
写真学校へ行ってた時、「もっと正面から近づいて撮れ」と言われた。
それはかなり勇気がいる事。なので最初の頃は遠くから後ろ姿だったり、歩いてる横向きだったり。
でも正面からの写真って、やっぱり違うんだ。それこそ今そこにいる「人」なんだよね。それが今はムズカシイ。
スナップ撮影するにあたって、男性より女性は少し有利。特に若い女性。そして男性はイケメンの方が有利。服装も普段着よりスーツやメッチャクチャお洒落な格好をしていた方が有利。中身はどんな人か解らなくとも、人ってそんなものだから、これからスナップ撮影する人は、これプラス「笑顔」、そして「撮らせてもらっている」ということを忘れずに。
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