2011/11/28

InstagramとiPhone「連絡先」匿名性の問題


iPhoneの「連絡先」(Macのアドレスブック)にメールアドレスまたは電話番号を登録している第三者が、Instagram(以下IG)にも同じものを使っていた場合、そのメールアドレスまたは電話番号を知っていれば、問答無用にIGの「連絡先から探す」に表示されてしまう。
IGでは非公開プロフィール欄になっている情報なのだが、その情報はバックグラウンドで他のアプリに勝手に使われている状態だ。

匿名で楽しんでいるつもりが、いつの間にかバレているかもしれない…。

対処法は
・IGに電話番号を載せない。(未記入でも可)
・登録メールアドレスは誰にも知らせていないものを使う。
これで相手のIGにあなたのアカウントが表示される事はなくなります。

同様の件が Twitter +「連絡先」でも報告されています。
nanameru (PHASE 1):Twitter for iPhone のおすすめユーザー機能がプライバシー的にアレな件について。

追記(2012.3.19):現在iOS5.1 Instagram2.2.0において、この問題はユーザに承認を得る形式となり、解決しています。

2011/11/20

保育園発表会

最初に始めた保育園の仕事が、民営化の為に今年度でなくなる。新しいところは業者を入れない方針らしくて…。
そこの発表会のリハに先日行って来たのだけど、帰り際に子供から「今までイッパイ写真撮ってくれてありがとう!」と言われた。こちらこそだよ…ほんと、ありがとう。
その園は卒園の時にも、保護者の何人かから、感謝の声をかけて貰える。人数は少ないのだけれど、思い入れのある園だった。
今、リハの写真レタッチしてる所だけど、写真はとてもいいよ。最後の発表会、本番楽しみにしているよ。
これで写真見て、気が変わってくれるといいんだけどな…。まだだ、まだ終わらんよ!

2011/11/17

Instagram アカウント変更の理由

花が特に好きだったわけでもない。綺麗なものが特に好きだったわけでもない。特定の被写体だけに興味があるわけでもない。
ただ自然が好きで、散歩が好きで、シャッターを押す事が好きなだけだった。

散歩しながら写真を撮っていると、今まで気付かなかった発見がある。これがとても面白くて、以前「散歩撮影のススメ」としてオレ流写真論にも書いたことがあるくらいに。
でも花を撮っていると、つい花を探してしまうんだ。花だけを。
桜の季節には車に乗って桜探し。現場に着いたらカシャカシャ撮っておしまい。
そんなスタイルに不完全燃焼を感じたのは大分前の事だった。それでも誤魔化し誤魔化し続けていたのだが、やっぱりそんな撮影スタイルは自分には合わなかったのだろう。

2011/11/13

William Eugene Smith

写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま――ほんのときたま―― 一枚の写真、 あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの――たぶんすくなからぬもの――は影響を受け、 道理に心をかたむけ、誤りを正す方法 を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものの、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。 わたしの生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが。私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物をいう。それが私 ――そしてアイリーン――が水俣で写真をとる理由である。


以前ブログに書いたような気もするが見つからなかったのでもう一度…。
写真家ユージン・スミスが写真集「水俣」に書いた一節だ。
時々方向を見失いそうな時、これを見て思い出す為に。

引用元:
W.ユージン・スミス『ユージン・スミス写真集―1934-1975』(99): 二筋縄。

2011/11/06

怒らないようにする方法


Twitter (@ponhouse1993) より…。

怒らないコツ的な物を少し。
良く知られているのは深呼吸する事。実際効きます。この時に意識して深呼吸するのですが、同時にそれまでの呼吸を確かめてみましょう。多分イライラしている時は呼吸が浅く、また心拍も上がっていると思います。また話している時ならば、声も大きく強くなります。

逆に言えば、その呼吸など自分の状態を観察する事で、怒りが頂点に達するまえに和らげる事も出来るわけです。
怒りは出す事で更に増してしまうものです。そうなると止める事も難しくなるので、強くならない内に鎮めてしまうのが良しと思います。

自分が苛立っていると気付いたら、深い呼吸をして、そして観察してみましょう。
「何故自分は苛立っているのか。」その原因を確認します。

自分の為なのか。人の為なのか。
イライラする大元の大半は、自分の思う様にならない事が原因だとぼくは思っています。そのイライラを人にぶつける意味は何でしょうか。

人を導くほどの資格はあるのか。権利はあるのか。あるとして、その為に怒る意味は何でしょうか。それで言う事を聞かせる為?
怒りをぶつけられた方は心を閉ざし、時には反発し、反抗します。怒っても良い方向へは行きません。もし本当に相手を導きたいのならば、他の方法を取る事が賢明でしょう。

自分を客観的に見て観察し、何故かを考える。そしてこの様子が全世界に見られていると想像してみると、自分の暴走を防ぐ手助けになるかもしれません。