2014/02/25

ニコン、新RAW現像ソフト「Capture NX-D」(ベータ版)を公開 - デジカメ Watch

Capture NXがNX-Dとして一新されるようです。



Lightroomの出来があまりに良いので、以前はNX2を時々使う事もありましたが、最近はLightroomとPhotoshopですべて完結しています。

Capture NX系は正直言って酷いインターフェース(特にパレット周り)でしたが、今回そのパレット周りに手を入れたらしいので少し期待しています。

ただ、自分の使い方は画質をトコトン追求するような物ではなく、操作性とスピード重視なので、NX-Dをメインで使う事は多分ないでしょう。



ソフトはまだベータ版なので、試用する方はそこのところ注意してください。

ニコンのサイトでは感想や要望も受け付けています。ニコンがこういう形で要望を受け付ける事は、記憶では今までなかったのですが、それほど今回は本気という事なのでしょうか。

せっかくですので、ベータ版を使ったら要望を送って、ニコンの誇る最高のソフトとして販売される事を願います。



Nikon | Capture NX-D

ニコン、新RAW現像ソフト「Capture NX-D」(ベータ版)を公開 - デジカメ Watch

ニコン、AF機能が向上した「D4S」を正式発表

意外と早く発売されるようです。

興味深いのは、「画素数をRAWの1/4とし、ファイルサイズが約1/2になるという「RAWサイズS」(12bit、非圧縮)を新たに追加」…やっと待望の画素混合らしきものが搭載されたのですが、画素1/4となると約400万画素…これは流石に厳しいかな。

報道で小さいサイズをネット回線などで送るため?と思ったのですが、それならRAW+JPEG Sサイズでいいので誰がどう使うのか疑問です…。

ニコンイメージングのサイトを見ても、それ程謳っている訳でもないので、ニコンとしても取り合えず付けたという感じなのでしょうか。

せめてD800にこれがあればなあ…。


他は細かいグレードアップですが、売り言葉を信じるならばD4より更に良くなっている感じです。

XQDとCFのダブルスロットは変わらず。


D4S | ニコンイメージング
ニコン、AF機能が向上した「D4S」を正式発表 - デジカメ Watch

2014/02/20

二つのフォルダ内にある物の違いを比較『Compare Folders』 - Macの手書き説明書

この手のユーティリティは時々欲しくなるからダウンロードしておいた。

ターミナルからdiffコマンドを使う事で同じ事が出来ます。



二つのフォルダ内にある物の違いを比較『Compare Folders』 - Macの手書き説明書

2014/02/15

オレ流写真論、まとめました

3つのサイトにまたがって書かれていた「オレ流写真論」。
このBloggerにまとめました。
 (1) - 人は何故写真を撮るのだろう。
 (2) - じっくり撮る事のススメ。
 (3) - 感性のはなし
 (4) - 散歩撮影のススメ
 (5) - 共感と想像
 (6) - 女性の撮る写真と男性の撮る写真
 (番外編) Instagramを続ける為に
 (7) - 「自分」のスタイルとは
 (8) - 制限を付けて写真を撮る
 (9) - カラー写真の可能性
 (10) - 写真のHow To本は読まない。
 (11) - 写真はC.G.化して来ているのか。

書き始めてからあっという間にもう5年…。
自分のやってきた写真という道をもうかれこれ40年近く歩いてみて、自分なりの思った事、感じた事をまとめておきたいというのが、このオレ流写真論の主旨です。
書きたい書きたいと思いつつ、なかなか進んではおりませんが、遅筆ながらちょびちょびと書く予定ではありますので、忘れた頃にまた更新するかも知れません(笑)

- オレ流写真論 (4) - 散歩撮影のススメ

写真と一言で言っても、風景、人物、花、飛行機、電車…数限りない被写体があります。
この中で近年静かなブームになっている、日常の何気ない1コマを切り出すスナップ…特にカメラをぶら下げ散歩しながら撮る「お散歩写真」について取り上げてみます。

ストレスの発散

僕の写真も、基本お散歩写真です。被写体は街角スナップではないですが、基本姿勢はそれを撮っている他の方々と近いと思います。

好きな時に好きな様に撮れる事がお散歩写真の利点です。
さあ撮るぞ!と身構えるワケでもなく、いいものに出逢えたらラッキー!くらいの気軽さは、慣れると楽です。
もし、いいものに出逢えなかったとしても、散歩をしたという事で心も身体も健康になります。
というと何か年寄り向けの話かな?と思うかもしれませんが、出来れば若い世代の方に経験して貰いたいのが、この散歩撮影です。

機材に追われるストレス

誰もが魅力的に感じる被写体に出逢えた時、このサイトを読んでいる方ならばカメラさえ持っていればきっと写真を撮る事と思います。
もし上手く撮れなかった時は、他の人の撮った写真を見ていろいろと研究する人も多いかと思います。
「ああ撮れば良かったのか…。」
「あのカメラなら綺麗に撮れるのか…。」
「あのレンズならこんな風に写るのか…。」
三度の飯よりカメラが好きという方は、すぐに機材を買えば済む事なのかもしれませんが、それでも頻繁に買い替える事は多くの人にとって、なかなか難しい事でしょう。
揚げ句の果てに
「あのレンズさえあれば、もっといい写真が撮れる…。」
「あいつの写真は機材頼みだ…。」
どこかでこう思ってしまっては、気持ちよく撮影出来ませんし、やっかむ自分に苦しみます。
下手をすると写真に対する興味さえも失ってしまいかねません。

・新しい機材が手に入った時の気持ちと、さらにそれよりも新しい機材が発表された時の気持ち。
・それと先ほどのヒガミにも似た感情を持ってしまっていたら、その時の気持ち。

これらを一度良く考えてみて、自分にとって本当に欲しい必要なものは何かを考えてみると、気持ちよく「写真」にハマる事が出来るかもしれません。


被写体の刺激

「お散歩写真」は一般的に人の目を引くような凄い写真は少なく、ある意味地味な写真です。
それもそのはず、人の目を引くような写真は「見た事がない…」が基本にあるからです。

まだ見た事のない風景。
めったに見られない夕焼け。
周りにはいない様な人々…。

これらは見る側にとっても「強い刺激」として映ります。
対して「お散歩写真」は多くの人が普段「目に入っている」普通の景色。何も目新しくない日常だったりします。

この目新しさの少なさをカバーする為に、「お散歩写真」はトイカメラで撮るなど、写真として普通とは少し違う感じを出しているものが多いかと思いますが、肝心の被写体はどうでしょう?「お散歩写真」といえども、被写体に何かしらの面白さは必要です。
ただ、撮る側としては、この「面白さ」を追求しすぎては逆に撮れなくなってしまいます。自分の中にも「強い刺激」は残っており、それに匹敵する又はそれ以上の被写体を探していては、なかなか巡り合わないからです。

最初、せっかく「?」と感じる事が出来たのに、撮ろうとしてるうちに頭で考え始め、シャッターが切れなくなる…そんな経験はありませんか?
多分無意識にでも、意識的にでも何かと比較してしまっているのだろうと思います。それらと比較して、「やっぱりツマラナイや…」となっているのではないでしょうか?でもそれは本当にツマラナイものでしょうか?

刺激が少ないだけではないのでしょうか?
大味激辛の食べ物に対し、あっさりさっぱりな日本食…日本食は美味しくないものですか?
アクション、CGバリバリの映画に対し、ストーリー重視の映画…ストーリー重視の映画はツマラナイ映画ですか?

まずは撮る!

せっかく自分の心が「お?」と思ったのですから、ためらう必要はありません。
まずは撮ってみて下さい。
その上で、表現する為の「絞り」や「シャッタースピード」「レンズ」などのテクニックが必要ならば、構える前に決めてしまいましょう。
ファインダーを覗いているうちに、どんどんと頭で余計な事を考え始め、撮らなくなってしまう事もありますから。

自分で制約を付けてみるのもいいかもしれません。
今日はレンズは35mmで絞りはf8だけとか、「P」しか使わないとか。明日は28mmでとか。余計な事を考えずに済みます。
高機能のカメラだからといって、全ての機能を使いきらなくても何も問題はありません。
慣れてきて直感的にその違いが分かるようになってきたら変えてみればいいと思うので、それまでは全ての絞りや焦点距離などを試さなくてもいいと思います。


〜「散歩撮影」をする事でしか気づかない発見とワクワクが沢山あります。
それらは、写真ってこういうものだ、カメラってこういうものだ、楽しいってこういうものだ、幸せってこういうものだ…といった既成概念も変えてくれるかもしれません。
大きい刺激ばかりに慣れすぎて、繊細な事に気付きにくくなっている今の世の中だからこそ、気張らない「散歩撮影」を勧めます。


2010.7.14

- オレ流写真論 (3) - 感性のはなし

感性のはなし。

生まれ持っての感性。
 昔長崎の高島と言う島へ渡った時、島の子供達にカメラを渡して、遊びながら写真を撮りあった事がある。
下は幼稚園くらい、上は小学校3年生くらいだったろうか。
フルマニュアルのカメラ…露出はとりあえず固定して、ピントは被写界深度でカバー。数人でカメラを取り合いしながら写していた。

 東京に帰ってきて自分の写真とともに現像したら、さすが子供の撮った写真ばかり並ぶ中に、意外にも目を引くスリーブがあった。
ピントはボケていたものの、その子が興味を持ったものが、そのコマからしっかりと伝わってきた。そのときの状況を思い出すと、多分一番熱心に撮っていた男の子が撮ったものと思われる。
構図なんて本で見るような何対何とか対角線とか黄金分割とか、そんなもんまったく無視だけど、バランスがしっかりとれ、余計なものが入り込む余地もない程、その被写体にしっかりと寄ったフレーミング。
被写体は大人ならカメラを向けることもないだろう、ドロ団子とか友達の体の「一部」だったり、それはまさにその子が見た、その子が興味を持った視点だった。

次に高島のその公園へ行った時、まあ誰かしらいるだろうと、みんなが写ったプリントを持って出たのだが、結局あの日以来会っていない。今頃どうしているだろう。
 ひとはいつからか…もう物心がつく頃には感性の差やセンスと呼ばれるものは出来てしまっているのだろう。この写真を見た時そう思った。

感性を鍛える。

初めて言葉をしゃべったのはいつですか?
初めて文字を書いたのはいつですか?
個人差でばらつきはあるものの、ほとんどの人は大人になるまでに会話が出来、文章が書ける。ただ、しゃべりがうまい人もいれば苦手な人もいるし、字がきれいな人や文章がうまい人もいれば、からっきし駄目な人もいる。
感性というものも、それらと同じ様なものと思う。自分には感性がない、センスがないと思うのなら鍛えて磨きあげればいい。皆と同じように生きて来ているつもりでも、ちょっとしたことの積み重ねで、ゆっくりゆっくり差が開いてしまっているだけで、ならその「ちょっとしたこと」に気づけさえすれば、感性は誰にでもまだまだ伸びる余地があるはず。

 写真だけではない。

 写真の感性を鍛えるからといって写真だけを見るよりも、いろいろな事を経験した方がいい。いいと思う事ばかりでなく、悪いと思うような事も沢山。写真に写っているものは写真の世界にだけあるものではなく、現実の世界にあるものだ。また写真なんてわずか200年足らずの歴史しかない狭い世界に留まる必要もない。写真と言う物にこだわらず、いろいろな物を見て、そして感じて、考える事が大事だ。

 勉強やスポーツと同じ。

 使ってないと落ちてくる。自分が続けられるくらいのペースで無理をせず、それでも理想は毎日心に刺激を与えよう。片時離さずカメラを持ち歩かなくたっていい。その代わり、カメラがない時には、心の中で写真を撮ろう。
それは気づかない位ゆっくりかもしれないが、だんだんと積み上げられ、いつか写真に生きる時が来るはず。今まで撮っていた癖もあってか、写真にはなかなか現れないかもしれないが、何かをつかんだ時に段階的に伸びるものだから、焦らず続ける事が大切だ。

2009.6.26

- オレ流写真論 (2) - じっくり撮る事のススメ。

じっくり撮る事のススメ。

写真がうまくなりたければ、とにかく量を撮る事。
良く言われる事だが、確かに間違いはない。
ただ…。

 カメラがデジタルになり、いくらシャッターを切ってもフィルム代はかからなくなった。そんな理由からか銀塩の時よりも気楽にシャッターが切れるので、ついつい大量に撮ってしまう人も多いのではないだろうか。
また手振れ補正が当たり前になり、カメラも小型化され、三脚を使う人が少なくなってきてはいないだろうか。
かくいう自分も大体の撮影は三脚ナシで済ましてしまう。でも実は三脚は写真をブレにくくさせるだけの物ではなかったりする。

 最後に一球入魂…一写入魂で撮ったのはいつですか?
「写真は構図!」とか「ここはF幾つで!」とかいろいろ考えるよりももっと大切な事があると1回目に書いたばかりだけれど、人に伝えるのなら写真を魅せる力も必要…。構図を鍛える為には、一枚一枚じっくりと構えて撮る事も大切です。

 昔、まだファインダー交換の出来る一眼レフがあった頃…カメラのファインダーを外して、遠目からそのスクリーンに映る像を見て構図を決めていた時があります。
中判や大判カメラのそれと比べてあまりに小さい像。でもファインダーを覗いた目の前に広がる世界よりも、遥に写真に近い像。今で言えば液晶を見ながら撮るような感じでしょうか。
それを見ながら三脚のパーン棒を緩め、頭の中のイメージと目の前のイメージをリンクさせながらコツコツと微調整し、露出を決めて撮影。ブラケットはどうしても露出に自信のない時だけで、基本的には無しで…それはお金がなかったからだけなんだけど。

 

飾る写真をイメージして

額に入った大きく延ばした自信作。写真を撮る時に、そんな写真をイメージして撮ろう。想像出来ない位に大きな写真ではなく、家に飾る程度の、自分が想像しやすい大きさの写真を。撮った写真はプリントしないでPCで閲覧…そういう人もイメージしよう。

 絵を描く時に見える物。

絵の得意な人もそうでない人も、その時の事を思い出して見て下さい。まずはモチーフを決めて…何も書かれていない真っ白な紙やキャンバスを置き、筆なりペンなりを手に取って…何度も何度もモチーフとキャンバスを行ったり来たり。そうしているうちに今まで気付かなかった物が見えて来たはずです。
最初からそこにあったはずなのに、気付く事の出来なかった細かいところや裏側が。

写真も同じ。じっくりと被写体を見る事で見えてくる物があります。それがファインダーを覗いてシャッターを切っているだけで見えてくる時もありますが、そうでない時もあります。見えたつもりになって、撮れたつもりになって切り上げて、後になって後悔する事もあります。後悔したくないから、時間の許す限りいろいろ(露出を変えたり、構図を変えたりする事を以外にも)試したり。先に書いたように三脚で構えてじっくり被写体に向かう事も、一歩離れて見てみる事も、目をつぶって空気を感じる事も。
きっと無我夢中でファインダーを覗いて撮っていた時とは違う物が見えると思います。

2009.6.17

- オレ流写真論 (1) - 人は何故写真を撮るのだろう。

人は何故写真を撮るのだろう。

専門学校に行ってた時ふと悩んで撮れなくなった事がある。
ある意味、人は何故生まれてきたかの様な命題であり、いくら考えても答えの出ない事だ。
当時出た答えは「自分の為に撮る」だった。言葉にするとちょっと違うニュアンスになるが、広義な意味での「自分の為」だ。忍び込んだ確か2年生向けの竹内敏信氏の講演で、それに気付かされた。

自分の為とは自分が満足する為…技術の習得だったり、挑戦だったり、金だったり…いろいろな意味で自分にとってプラスになるから、だから写真を撮る。多分そんな感じで自分の中で納得したのだろう。
しかし正直なところ20年経った今も答えは出ていない。きっとずっと出ない。いや、ずっと考えて行かなくちゃならない事なのだろう。そんなことも氏は言っていた気がする。

自分の為となると難しい…どこからか、まあいいか、もういいかって気持ちが湧いてくる。多分まったくの趣味であったら、それでやめてしまってもいいのだろう。自分が撮りたい時に撮って、撮りたくない時は撮らない…何も問題はない。

モチベーションを保つ為の動機を見つけられない時、自分はとにかく写真を撮る。出来るだけ何も考えないようにしながら、ただただシャッターを切る。それが経験上のスランプ脱出方法だ。そうしてるうちにまた少し進む事が出来る。

 写真は自由だ。人によってそれが物の記録であったり、時の記録であったり、物の表現であったり自分の表現であったり、決まった事など何もない。だからこそいろいろなカメラでいろいろな被写体を撮る人達がいる。カメラなんて目的に合う物なら本当は何だっていいんだ。

次回、良い写真ってなんだろう…と続きたいところだけど、勢いで書かないと絶対書かないと思うから続けちゃいます。


良い写真ってなんだろう。

カメラは良いカメラが欲しい。良いカメラで良い写真を撮りたい。そう思う人は多いだろう。
でも良い写真って何だろう?
ボケてない写真?ブレてない写真?
それは基本で構図が教本通りにバッチリの写真?
シャッターチャンスがバッチリの写真?
色が綺麗な写真?
みんながうまいと言ってくれる写真?
多分どれでもあってどれでもない…。

先程、写真は自由だと書きました。ということは良い写真だって人それぞれだし、自由なんだから決められない。ましてコンテストとかその審査員の好みだから金賞が一番良いわけじゃない。学校の美術とか音楽だって成績付けて分ける物じゃないって思う人いると思います。
自分もそう思った時がありました。確かに一位を決めるのは難しいです。最終的には好みだって出てくると思います。ただ良い写真、駄目な写真は明確に別れます。
 良い写真は存在する…じゃあいったいそれはどんな写真なのか。
良い写真≠上手い写真の様な感じでイコールではない。

結局写真は人に見せてナンボ。人に伝える事が出来る写真が良い写真です。素晴らしい風景を見た時の感動を…自分が何に心を動かされ、自分がその時どう思ったのか、それをその場に全くいない人に伝えられるか。そういう事だと思います。
写真には詩のように歌詞がないから、映画のように言葉も効果音もないから、だからこそ二次元の限られた枠の中で、その伝えたい事が一番うまく伝えられるようなシャッターチャンスで撮ったり、より引き出せる構図で撮ったりすることが重要になります。そして、その方法こそが自由だと、無限の方法があると思っています。

「バッチリ写ったよ」じゃなくて「バッチリ伝えられたよ」が本当の良い写真と信じてます。

 この被写体にはこのカメラが必要、このレンズが必要、この構図で、この絞りで、このシャッタースピードで…そんなことより、
この被写体に対して、どこが好き?どれだけ好き?どんな気持ち?…それの方がとても大事で、そしてこれが今写真を撮っている人、これから撮ってみようと思う人達に忘れて欲しくないと願う事です。

2009.6.11

2014/02/05

時間を忘れるほど深く集中しているとき、我々の脳には何が起こっているのか? : ライフハッカー[日本版]

“意識的に考えなくてもアクティブに動いているシステム”
計算問題をやっていると、頭で考えている感じはなくなって来てとても心地良いモードに入りますが、最近写真を撮っている時にもこのモードになる事に気付きました。

撮影にのってくると、絞りやらシャッタースピードやら構図やらを意識せずとも指が変えていて、「この感じは何かに似ている…」と、やっと思い出したのが最近の事。

シャッターを切る時の快感っていうのはコレなんだなと…これが好きで写真を撮っているんだなと思いました。

だから自分にとってカメラのポイントとしては、フィーリングがとても大事なのです。





時間を忘れるほど深く集中しているとき、我々の脳には何が起こっているのか? : ライフハッカー[日本版]

2014/02/01

新・OS X ハッキング! (114) defaultsコマンドの使い方 | マイナビニュース

ターミナルで使うbashのaliasコマンドについて解説。

長いコマンドを自分の好きなエイリアスで簡単に打ち込むためのコマンド。

記事ではdefaultsコマンドの登録ついて書かれているけど、基本何でもいいみたい。

登録はalias ○○○="コマンド"

削除はunalias ○○○



ターミナルは、たまにしか使わないのでエイリアスの存在は聞いていたけれど登録した事がなかった。でも、たまにしか使わないからこそ登録した方がいいかもしれない。



新・OS X ハッキング! (114) Kindle本発売記念、defaultsコマンドのYet Anotherな使い方 | マイナビニュース