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2020/09/29

近況

 もう長い間このブログに書くことも少なくなったのですが、時々ですが更新してます。

それで、ブログテーマと関係ないことを以前からも時々書いてはいたのですが、今回もその一片、近況報告&ライフログ的な感じに。


えー、この度重なる時と共に老いてきた証なのか「顔面神経麻痺」になってしまいました。

診断としては「ベル麻痺」というやつです。

ヘルペスや帯状疱疹ウイルスが原因とも言われますが、原因は様々でストレスなど体の免疫機構が落ちると発症しやすいみたいです。

なってしまったのだから原因はどうでもいいのですが、今は左側の表情筋が全く動きません…。

多くの人は目が閉じず乾きに苦しむらしいのですが、幸い目が大きくないからか少し閉じないだけで済んでいるので兎目になることはたまにしかないのですがとにかく目が疲れます。

麻痺してる左だけじゃなく右も。

カメラのファインダーは自分の場合両目で普段見て、ピントや構図などしっかり見たい時だけ一瞬目を瞑る感じだからまだいいのですが、これになってそれすら出来なくなって不便です…これはミラーレスで液晶表示に移行しろということ!?笑


今年はマダニに噛まれたり足の甲を痛めたり、そして顔面神経の麻痺という踏んだり蹴ったりな感じなのですが、自分としては「まあ、しょーがない」と思ってます。

上に書いたようファインダー覗きにくかったり、表情が出ないのでコミュニケーションが…特に子供相手が多いのでけっこう致命的だったりするのですが、それも残った右側や(鏡を見て変顔を練習中…自分としてはけっこうイケルw)手足のジェスチャーを更に駆使すればなんとかなるんじゃね?と思ってます。

症状の今後としては、軽症なら半年以内くらいで完治。

重症だと後遺症が2~3割で残りやすく、でも最悪としても手術&2週間入院とリハビリで取り戻せる可能性はあるようです(多分、まったくどこも動かないので重症なのかな…)。


もう今までの「自分の顔」は見ることないのかな…と思うと寂しいですが、これも今の自分。

元々イケメンでもないし、たかが メインカメラ 顔をやられただけだ!って感じです。

うつ病を発症してしまう人もいるのもわかります。

正直、顔の違和感や目や口の不便さ、ストレスは大きいし、社会で生きていくのにとても大事な「顔」の機能が失われたら絶望感に呑まれてもおかしくないです。

でもね、残ったものでなんとかすればいいんだよ…というのが僕のポリシーに近かったりします。

「できる人がやればいい」「できることだけすればいい」…そんな感じで。

もう昔の顔は戻らないかもしれませんが…いや戻ったとしても戻らなかった時にガッカリするのも嫌なのでここは絶望的観測でこのままを前提に…


僕は僕のままです。

何かが変わっても…容姿や性格が変わったとしても、それが今の自分です。

過去は過去

今がいちばん大事なのは変わりません。

たまーにしか更新してないですが、これからもブログよろしくです♪(マニアックだけど…)



追記 (2020.11.22)

おかげさまでだいぶ良くなりました。

まだ口周りに違和感があるものの、見た目では眉に少し段差があるくらいでわからない程になったのは幸いです。

人生何があるかわかりませんね…若い時には健康なんて屁にも思ってなかったのが、今は順調に先人たちのようにそれを一番大切と思うようになりました。

ほんのちょっと崩れただけで、きっと僕にとっての人生だろう「写真」が思うように撮れなくなってしまうのは、今思っても恐怖でしかありません。

今この一時を、自分のできる範囲で、自分の思うままに。

2019/04/30

平成も終わり

31年前
昭和天皇崩御の時、僕は皇居へ行った。
泣き崩れる大勢の人々がそこにはいた。

当時僕は天皇が何なのか、いまいちピンと来ていなかった。
いらないのでは?とも思っていた。

ただ、その場にいて
無視の出来ない感情が生まれた。
関心を持たないまま無視し続けてはいけない気がした。

その日からずっと考えていた。頭のどこかで。
天皇とはなんなのか。
なぜあそこまで号泣していたのか。

平成の終わる今、やっと自分の中での答えが出た気がする。

それは日本の象徴であり、日本国民の象徴でもあり、時代の象徴。


日々ニュースを見ていると、天皇がよく画面に現れる。
式典のとき、災害での慰安など。
僕はそういった天皇の姿をテレビ越しに30年見てきた。
そして僕もその間、30年生きてきた。
いろいろな出来事があった。
日本にも、自分自身にも。
どんな時でも常に、天皇はいた。微笑んでいた。国民皆を応援してくれていた。
「変わらないもの」だった。

なぜあそこまで号泣していたのか。僕の中の答え。
それは投影。
64年間という長い年月。ましてや戦争という大きな出来事まであった。
時代は元号よりももっと速いスピードで進み、楽しいこと辛いこと、次々と入れ替わる。
そんな目まぐるしい現実の中でも天皇だけは変わらずにそこにいる。
時代を生きてきた自分を天皇というかたちに投影する。
涙したのはきっと、振り返った自分の人生なのだろう。
そんな「変わらなかったもの」がまた終わる。


記 平成 三十一年 四月 三十日

2017/09/12

ある日の出来事。

いつか…書き残しておきたい…正確には、自分の胸にだけ閉まっておけないこと。

 もう一年は経つだろうか、ある日の昼間、電話が鳴った。
少し年老いた声。
 攻撃的な口調だった。

 「写真が送られてきたんだが、これは何かの嫌がらせか!?」
 クレーム?…やばい…でも最近写真を送った覚えもないし、何の…?と思った。
 よくよく話を聴いてみる。
どうも七五三の写真で、夫婦と子どもの写った写真だそうだ。
そしてそこにウチの連絡先も…。
 でもまったく覚えはない。写真撮ったのはウチかも知れないが。

 「これをどうしろと言うんだ!」
「申し訳ございませんが着払いで送って下さると…。」 と応えたのだが
 「そんな手間を取らせる気か!」
と言われたので受け取りに行くことにした。 名古屋まで。(うちは静岡)
 「ほんとに来るか!?」
「はい。ただ、2時間程はかかってしまいますが…。」


そうこう話しているうちに段々と雰囲気が変わってきた。
 相手は酔っているようだ。
 「あんた、独り身か?」
「いえ…結婚しています。」
 「そうか…俺もだ。去年、死んじまったけどな…。」
 「その女房がそりゃまた浮気癖のある酷い嫁でな…この写真が送られてきた時は、またやったかと思った…。」
 嫌がらせ…そういうことか…。

 もうだいぶ経ってしまったので細かな内容は覚えていない。
ただ、2時間ほどその人と話していた。




「子どもの頃…(確か4年生くらい)養蜂箱を拍子で壊してしまって、その持ち主にこっ酷い程責められた。」
「母親は弁償する金もなく…わかるよな?身体で払えと…。」
 「子どもの前でするのは嫌だったんだろうなあ…「そこで待ってなさい」と裏手の陰に男と行った。」
 「当時は何か分からなかった。でもしばらく待っていたが帰ってこない。心配になって見に行ったんだよ。」
 「そうしたら…母親も女だったんだよなあ…男の首に手を回してよがってたんだよ。」

もう何十年…多分半世紀以上前の話だろう。
 電話越しの彼は泣いていた。
 ずっとずっと、その光景が消えなくて…あまりに切ない。

「あんた、物書きかい?」
「いえ…写真屋ですが…。」
かなり酔っているらしいので、もう誰と話しているのかも分からないのだろう。

 「もし物書きなら、これを小説にしてくれていい。」
きっと、ずっと抱えていたわだかまりを誰かに聴いてほしかったのだろう。
 それほど辛い出来事だったのだろう。
 聴いていた自分も辛かった。
ぶつけどころのない遣る瀬無さを感じた。

 「物書きではないですが…僕は写真屋です。写真で表現することはできます。」
 「そのままではないですが、必ず!」


 「羨ましかったんだよ…この写真見た時。俺もこんな風に幸せな人生だったらな…。」
 「あんたいい写真撮るな。ほんと、幸せそうだ。」
「あんたと話せて良かった…。」
 そう言って電話は終わった。




 P.S.
写真は昔撮ったご夫婦が実家に写真を送ったところ、郵便局の手違いで誤配送されてしまったらしい。
その後、郵便局と彼からもまた謝罪の電話があった。
 僕もこのことを胸にしまっておくのは辛かったのかもしれない。
 また、この話を書き残すことは義務だと感じた。
だから、目に触れる人は少なくとも、彼の人生、存在を、少しでもここに残しておきたい。

2014/11/05

“軍艦島を4K+ドローンで撮ってみたらすごかった【動画】”←に20年以上前撮った写真と同じ場所が!

軍艦島を4K+ドローンで撮ってみたらすごかった【動画】

これ…ここ
 ↓約20年後









2014/03/23

卒園式

ツイッター(@ponhouse1993)からの転載

0歳児から撮ってた子たちが卒園する。
もう会うこともないかもしれないけど、ぼくの撮った写真はこれこらもきっと時々引っ張り出されたりして、結婚式とか流れたりもして、子どもが産まれたらお父さんお母さんの子どもの頃だよっていつまでも伝わって行くことを考えると、最近はとても感慨深い。

2014/03/22

スランプについて考えた

自分の思考が先に行ってしまい、まだ体得が出来ていない状態。

「目が肥える」という言葉のように、自分の中で「こうありたい」という物が創られるが、まだそれを叶えられるほどの腕がない、ズレた状態なのではないだろうか。
腕というと技術的な事だけと考えてしまいそうだが、ここで言う「腕」とは思考含まれ、まだ完全な「理解」には至っていない状態。

先走っているのだから、実際にはレベルが下がっていなくとも、相対的にはレベルが下がっているように感じる。

だから腕がイメージに追いついた時=スランプを乗り越えた時、人は成長すると言えるのではないだろうか。
その為には反復という鍛練が大事だ。
反復して体にイメージを叩き込むこと。

数学で難しい問題を一問解いて終わりにしていたら、いつまで経っても本当の意味では身に付かない様に。反復して何問も解き、ようやく本当の「理解」にたどり着ける。

2013/09/28

「み」

最近TVはほとんど見ていないのだけど、きゃりーぱみゅぱみゅがMステで、ほぼ「み」で歌詞が構成されている「み」という曲を披露したらしい。自分はこれアリだと思います。
▶ み - YouTube
▶ きゃりーぱみゅぱみゅ - み (Full Song) - YouTube

で、それを聴いてふと昔流行ったスキャットマン・ジョンの曲を思い出した。
▶ THE SCATMAN - Scatman John HD1080p - YouTube
フルで聴いたのは今回初めてだけど、結構いい曲ですね。もう亡くなっちゃったんだよな…。
当時これを聴いて、近い将来テンポやメロディー、ノリだけを重視して歌詞に意味のない曲ばかりになるのではないか…と心配した事もあったけれど、歌詞が薄い曲は目立つ物の、幅も広がり、廃れる事なんてないのかな…と最近は思う。

Mステ繫がりで、Coccoの焼け野が原 ‐ ニコニコ動画(原宿)
Coccoや吉井和哉を見ると、その中にある生命の熱さ…炎の様な何かを感じる。

2013/09/26

丹野章写真展「地底のヒーローたち -長崎県高島炭鉱-」 - デジカメ Watch

端島(はしま)…別名軍艦島の隣にある島です。こちらは今も人が住んでいて、もう大分前になりますが、自分が端島へ行ってた時に中間地点として立ち寄っていました。

ちょうど今日の新聞に載っていたのですが、建築物の劣化の為、「地元長崎市の専門家委員会が「画期的な保存方法が確立しない限り、崩壊し数十年の間に多くが失われる可能性がある」と指摘」軍艦島「崩壊の恐れ」 世界遺産登録に懸念 - 中国新聞という話もあります。

確かにとても速いスピードで崩壊は進んでおり、自分が通っていた間でも映画館が崩壊してなくなりました。木はもちろんコンクリもボロボロで、中の鉄筋もどうなっている事やら…。これを世界遺産に登録するとなると、これら崩れかけの建築物をすべて補修、維持しなければならなくなるのですが、そうなると多分ビックリするくらいの金額が費やされるかと思います。
維持するには流石にもう遅すぎます。
そういうこともあり、また個人的には、もうあの島は(人の欲という物から)ほっておいて欲しいと思う気持ちもあり、世界遺産登録に関しては反対なのです。




丹野章写真展「地底のヒーローたち -長崎県高島炭鉱-」 - デジカメ Watch

2013/05/17

Nikonさん、お願いします。〜カメラの要望

カメラ欲しいな〜と思ってサイトにある製品情報を見ていたら、今ニコンで動体に強いカメラってD4しかないという事に気付き、物欲が収まる(笑)
動体に強いというのは連写速度もさることながら、AFの精度、そしてバッファの量などが求められるので、バッファの少ないD7100だと例え秒7コマ切れても、キビシイ。

リーマンショック以降の世界的な不況で、厳しいのは分かりますが、もう少しかゆい所に手が届く機種が欲しいところです…。


ついでに要望的な事を書いてしまうと、ペンタックスで使われているハイパーマニュアル…AEロック(ホールド)の様な機能。あれは特許があるのかな?あの機能は他のメーカーにも是非搭載して欲しい。

2012/10/12

ニコンD600のためのSDメモリーカード選び - デジカメWatch

ニコンD600のためのSDメモリーカード選び - デジカメWatch

もう、前のエントリーに続いて不満ばかりの連続なんだけれども、なぜD600の売り文句は「価格」を一番に上げる所が多いのか。
記事でも
“これまでフルサイズ機が欲しくてもなかなか価格面で手が届かなかった向きには朗報”
と書かれているが、不景気だから安さをアピールしているだけだよね?メーカーが言うのなら分かるけど、記事で言うのはカメラを売りたいから?

確かに今までのフルサイズで一番安くなる「可能性」はある。けれどD700もほぼ20万切って売られていたし、発売後すぐに異例の3万円キャッシュバックキャンペーンがあったので18万程で買えた。そのD700よりD600の方が今のところは高いのだ。

要するにユーザがためらっていたのは価格だとしてもフルサイズ用のレンズを含めた価格や、大きさ重さじゃないのかな?

記事はユーザにとって、それが便利な物かどうかを判断させる情報をあたえてくれればいい。

長期試用リポート:ニコン「D600」第1回――D7000ユーザーがD600でフルサイズに挑戦 - ITmedia デジカメプラス

長期試用リポート:ニコン「D600」第1回――D7000ユーザーがD600でフルサイズに挑戦 - ITmedia デジカメプラス

個人的にはAPS-Cよりフルサイズの方が好きではあるが、使い慣れた画角だったり、超高感度を使いたかったり、ボケや周辺減光の大きさだったりが好きなだけだ。
これぞフルサイズってボケは標準〜広角の大口径レンズが一番分かりやすい。その領域でなければAPS-Cでも充分と思う。

最近、いつかはフルサイズという流れがある事に少し疑問と不満があります。
画質がいいと言われている高い物をただ欲しいという人が大半だったり?

結局フルサイズ神話は画素数神話の延長線にある様に思う。


画質とは何か。
自分の撮りたい用途にそれは合っているのか。



2012/10/01

Nikon D600 High ISO Performance Comparison

Nikon D600 High ISO Performance Comparison

Nikon D600、D700、D800E、D3sの感度別サンプル。
大きさを揃えてあるので分かりやすいです。

このサイトの写真ではD700よりD600の方が高感度でのノイズ量は少ないですね。
D600のRAW現像が出来ない為、JPEGでの撮影との事で、ノイズリダクションが強いのかな?D600は少しぼやけた感じだし…。

話は変わって、最近Adobe Lightroomの体験版を入れてお試し中。

2012/03/29

ふんわり甘いプリンと苦いキャラメルソース


録画に溜めていた「運命の人」をやっと見終わった。
感じた事、考えた事、見つけた事がいくつもいくつもあって、正直まだ整理がついていない。
また山崎豊子さんの作品をもっと見たいというのが、今の率直な感想だ。
そしてもっと多くの人にこの作品を見て貰いたい。感じて、考えて貰いたいとも思った。

自分がドキュメントを撮りたいと思った頃、既にそれは下火もいい所だった。
ドキュメントの写真が流行った時代は、今からもう二十年以上前に終わった。

考えるという事はとても疲れる事だ。
普段運動をしていない人には、腹筋ひとつとってもするのが億劫なのと同じ様に、人間というのは楽な方、楽な方へと行ってしまうのが自然な事なのだろう。

見てくれる一部の人達だけに伝わればいい。
その人達の中で何かが変わり、そこからまた誰かに伝わっていく。
ゆっくりゆっくり。急には物事は変わらず、きっと消極的にも思えるその姿勢しか物事を変える事なんて出来ないのだろう。

もっと多くの人に見て貰うには。感じて、考えて貰うには…。
他のもので表面を覆ってしまえばいいと考えた。
飲んでもらいたい苦い薬を、相手が喜んで自ら飲むような甘いオブラートに包んで。

生々しいドキュメントをストレートに写すのではなく、それを美しい写真で包んでしまおう。そう思った。
今はジャーナリズム的なものを撮ろうとは思わないが、その考え方はずっと自分の中に根付いているものと思う。
それは感情というものにシフトしていったが、いったい今どれ位それが表現出来ているのだろう。

2012/01/02

インプット、アウトプット、そして体感。


ちょっと久々に長い話…(笑)
途中から写真の話に繋がります。
元がツイッター向けに140字で収まるように書いてありますので、少々分かりにくいところや説明不足のところもありますが、ご了承下さいませ。
ただ、説明不足的なところは、自分の考えを掲示したいというよりも、読んだ人が考えるきっかけになってくれると嬉しいので、いつも遠回しに書いてある部分もあったりします(笑)



勉強が面白くないという人で多いのが、先生がつまらないと言う話を聞く事は多い。じゃあおかしい事をいう先生がいいのかというと、それはまた違う気がする。確かに興味は引くだろう。リラックスもするし覚えやすくもなるだろう。

本当につまらない先生とは、一方的にしゃべるだけの先生ではないだろうか。人は自分で考え、自分で出力し、それを認めて貰えた時、多くの喜びが生まれる。基本的に自分が中心だ。

2011/11/20

保育園発表会

最初に始めた保育園の仕事が、民営化の為に今年度でなくなる。新しいところは業者を入れない方針らしくて…。
そこの発表会のリハに先日行って来たのだけど、帰り際に子供から「今までイッパイ写真撮ってくれてありがとう!」と言われた。こちらこそだよ…ほんと、ありがとう。
その園は卒園の時にも、保護者の何人かから、感謝の声をかけて貰える。人数は少ないのだけれど、思い入れのある園だった。
今、リハの写真レタッチしてる所だけど、写真はとてもいいよ。最後の発表会、本番楽しみにしているよ。
これで写真見て、気が変わってくれるといいんだけどな…。まだだ、まだ終わらんよ!

2011/11/17

Instagram アカウント変更の理由

花が特に好きだったわけでもない。綺麗なものが特に好きだったわけでもない。特定の被写体だけに興味があるわけでもない。
ただ自然が好きで、散歩が好きで、シャッターを押す事が好きなだけだった。

散歩しながら写真を撮っていると、今まで気付かなかった発見がある。これがとても面白くて、以前「散歩撮影のススメ」としてオレ流写真論にも書いたことがあるくらいに。
でも花を撮っていると、つい花を探してしまうんだ。花だけを。
桜の季節には車に乗って桜探し。現場に着いたらカシャカシャ撮っておしまい。
そんなスタイルに不完全燃焼を感じたのは大分前の事だった。それでも誤魔化し誤魔化し続けていたのだが、やっぱりそんな撮影スタイルは自分には合わなかったのだろう。

2011/07/27

IGの仲間がやめてった

ここは自分を残して行く場所。だから本心で書いて行きます。

2011/07/22

2011/07/09

久しぶりに書いたけど

オレ流写真論…。ずっと書けなくて、でもしゃべる事は出来るのでこういう形になりました(笑)

2011/07/03

I.Gしばらくやめる宣言をツイッターでした

別に続ける事も出来た。最近はマイペースにもなって来ているので、少し前に感じたような義務感的な追われた感じも別にない。単純に変化が欲しいのかもしれない。
去年は例の姪っ子騒動(笑)で写真から遠ざかり、勘を取り戻す為…自分を取り戻す為、今年に入ってから半ば強制的に毎日撮り始めてみた。何か刺激があった方がいいだろうと、やり始めたのがIG。
楽しかったよ。今も楽しいよ。