花が特に好きだったわけでもない。綺麗なものが特に好きだったわけでもない。特定の被写体だけに興味があるわけでもない。
ただ自然が好きで、散歩が好きで、シャッターを押す事が好きなだけだった。
散歩しながら写真を撮っていると、今まで気付かなかった発見がある。これがとても面白くて、以前「散歩撮影のススメ」としてオレ流写真論にも書いたことがあるくらいに。
でも花を撮っていると、つい花を探してしまうんだ。花だけを。
桜の季節には車に乗って桜探し。現場に着いたらカシャカシャ撮っておしまい。
そんなスタイルに不完全燃焼を感じたのは大分前の事だった。それでも誤魔化し誤魔化し続けていたのだが、やっぱりそんな撮影スタイルは自分には合わなかったのだろう。
世の中明るく綺麗なもの、楽しいものだけがあるんじゃない。汚いものも、苦しいものも。でもそれら皆ひっくるめてが世の中だ。自分だってそうなんだ。
綺麗なものは綺麗にも撮って…でもやっぱり、哀しさ淋しさは表立たせるものじゃないって気がするんだよ。
淋しいものを淋しさイッパイで表す事は出来たとしてもしたくない。淋しいです!って叫んでるみたいで…。
みんな誰でも淋しい時もあり、哀しい時もあり、辛い時もある。けどいつもそればかり声に出していたら、何時の間にか自分の周りには誰もいなくなっちゃうよ。それでは何も解決出来ないのに、それを続けている自分にも嫌気が差すんじゃないのかな。
辛い時こそ笑おう!みたいな…人のためにも、自分のためにも。
だから写真だって、同じなんだ。
自分にとっての写真は、声。
綺麗なものは綺麗に。そして淋しくたって、哀しくたって、辛くたって…せめてそれを表に出す時は美しく。
Instagramのアカウントは現在3つ。以前からのアカウントと、少し前に作ったiPhone用のアカウント。そして今回分離したアカウント。
iPhoneアカは伸び伸び気ままに撮影する為に作った、ホントに気ままなアカウント。それ故に綺麗にしきれないダーキーな写真もあるけれど、それはそれ。
今回作ったもうひとつのアカウントはその延長だろう。
フォロワー数とか義理Likeとかポピュラーとかも関係ない。自分の写真=自分をホントに好きでいてくれる人だけでいい。そんな人が一握りでも居てくれて、本当に嬉しかった。
自由に気ままに歌うように。
前のアカウントは思い出も沢山あるけれど、これでもう切れてしまうフォロワーさんもいるだろうけれど、始めてから一年を前にする、来年1月23日をもって更新を完全停止します。