2011/07/09

- オレ流写真論 (5) - 共感と想像


今回少し趣向を変えて、自分とまた同じく写真やってる奥さんとの会話形式でお送りいたしたいと思います。


「引き算の写真…外側と内側」
写真は引き算と言われているけれど、この引き算と言われるものが2つあるんじゃないかと思った。1つはよく言われる、構図から余計なものを引いていく引き算なんだけど、何故それがいいとされていると思う?

ヨメ:ストレートに迷わず伝わるから…。

そうだよね、単純な話、余計なものが入ると、そっちにも目が行っちゃうから…。自分の表したい所をどんどんと絞っていく…という引き算の意味を「形だけしか今まで気付いていなかった」という事に気付いたんだ。
確かに構図の作り方では間違っていないんだけど、あくまでそれは構図の作り方で、写真の持つ中身の作り方じゃなかったんだ。
この事を「写真の引き算の外側」って自分言葉でとりあえず呼んでる。

例えばここにバナナがあるからバナナで例あげてみるよ…。
これを出来るだけ全部入れて写真に撮ったと…バナナしか写っていなかったら、あ~この人バナナが撮りたかったんだなって分かるんだけれども、ここで「写真が記録写真になるのか、それとも写真による表現になるのか…」その違いは何によって変わってくるだろうと。




今回のテーマ的なものでね、今ここで絵に描いたやつ…バナナ全部入れたよね…バナナただ写しただけな感じ。一応日の丸構図は避けたけどwこれだと、どうしても説明的な感じを受けちゃう…面白くないよね。何故そういう感じを受けちゃうかというと…そこに「想像の余地がない」から…人って想像する事を面白いって思う部分があって、それがこれには全くないから、面白いって思いにくい。バナナなんて知ってる人がほとんどだしね。

じゃあこれを面白くするにはどうすればいいかというと、構図的な…さっき言った「外側」で考えると、バナナを全部入れないという事。バナナの一部分しか入れなかったら、人は見えない所を補完してくれる…このバナナはどの位の長さがあるんだろう…とか。多分無意識レベルに近いんだけれども、自分で勝手にこの先を想像してくれてる。僅かそれだけの事でも面白い…というか興味を持ったりするもので…だから、「構図的に全部を入れない」…あえて入れない。想像の余地を残す。

今コレ、画面から出してカットした訳だけど、これをカットする訳でなく…例えば光を使ってもね、出来るんだよ、同じ事が。バナナが全部入っていたとしても、光がバナナの半分だけしか当たっていなかったとしたら…半分が暗くて良く見えていなかったとしたら…。

暗くて良く見えない所を想像する?

そう。とにかくどんな方法だっていい。隠しちゃってもいいから、全てを出さない…この全てを出さないっていうのは、もしかするとちょっと違うのかも知れないけれども、とにかく想像させる。そういう所も含めてが外側の引き算。



じゃあ次は外側と来たので、内側の引き算。
さっき絵に描いたバナナには形ってあるじゃんね。でも甘さとか匂いとかって表現出来るだろうけど、難しいよね。
一番分かりやすいのが形…。長いとか反れてるとか。極端な話、シルエットにしちゃっても分かるよね…例えばバナナのシルエットを写真に撮ったとすると、やっぱりそれも想像に入るよね。バナナに確かに見えるけど、でもハッキリ良く見えない。それが最小限の所…もうそれ以上抜かしちゃったら、もうバナナには見えない。そうなっちゃうともう何か分からないコレみたいになりかねない。

今バナナって簡単な形のもので話したけれど、もう少し複雑な…例えば、人。人をバッチリ撮るのではなくて、写真をブラして人として認識出来るギリギリの所まで持っていったつもりが、ちょっと行き過ぎちゃうと、ナニコレ…何が写ってるの?何か面白そうな感じはするけど、まあいいや良く分からないし…みたいな、そんな感じになっちゃう。それがギリギリのラインで人だと分かると、面白いと感じるんじゃないかなと。形だけじゃなくて、それは目には見えないものも含めてね。

内側の引き算って、「それだと分かる特徴を残してギリギリの所まで削っていくこと。」

写真の中に外側と内側の両方があって、必要最小限のものが面白いんじゃないかなと…。
写真て元々リアルのものを写すけど、絵とかの世界だと普通にある話だったり…特に空想系の絵だと頭の中だけなので、そこでイメージによる引き算をやって、ホントに最小限で描いてると思う。

さっきから出てる最小限ね、例えば…鼻…鼻がモチーフだったりすると?画素数の多いカメラ使って、マクロで画面いっぱいに鼻…それは情報が多いって言うのだろうか。

確かに顔から眼を除いて、口を除いてって引き算した結果が鼻でもあるよね。外側の引き算だとそういう事になる。
顔全体だとすると鼻って確かに一部だよね、だけどこの場合(内側の引き算)は、鼻は鼻で見てるよねきっと。だから全部って事になっちゃうんじゃない?

じゃあ、フレームがあって鼻を横から見た先っちょだけとか…。

それを鼻と認識出来ればいいと思うよ。フレームがあって、端の方に先っぽだけあって、何か分からないけど肌色の物が写ってるなと…そうなると結局分からないからつまらないよね。

じゃあ、そのツマンナイのがどうだったら面白くなるかね。

うん、それが内側の引き算のとこ…鼻の特徴。一番の鼻の特徴というと?鼻といったら…

鼻の穴…

じゃあ鼻の穴じゃん?

それはちょっと…(^_^;)

面白いと思うよ、鼻の穴を真下から…ここの穴のとこだけ…∩∩。一部だよね。しかも、あ…これ言い忘れてたけど、人って今まで見た事のないものに興味を持つっていうのもあって。それは「共感と想像」の共感の部分が大きいけれども。


バナナの時思ってたよ。さっきは一本しか描いてなかったけれど、なってるとこグローブみたいな房になって…バナナって認識出来るだろうかって…見た事のない人は、なっている所を。

うん、それがもうひとつの…共感の方の説明的な面白さになると思う。ただ、それね、共感と想像のどっち側じゃないとダメって言う訳じゃないんだよ。両方持っていていいものなの。説明しつつ…要するに共感部分を持ちつつ想像もするっていう。大半がそれに入ると思うんだけれど。

不思議だよね、例えば卵があって…ひとつだと卵って分かるけど、それがいくつもダーってあったとして、それを卵って認識出来るだろうか…。

瞬間では難しいよね。でもたぶん見てると気付くよね…脳のアハ体験みたいな。え!?マジたまご!?みたいに。そこがまた面白かったりするんじゃないかな。

「想像 ≒ 非現実」

バナナそのまま撮っても面白くない。木になってるバナナを撮りたい。だってそれが本来の姿でしょ?だってテーブルの上のビニールに入ってるバナナとってもツマラナイじゃん。
もしくは、そのバナナを変形して…例えば子供の口に入ってるとか、バナナの皮をむいて、違う形に変形してたりとか。

イレギュラーになるね。前にインパクトの話を書こうと思ってた事があって…。さっき言った、「バナナはこういうものだ」って言うことを壊す事で、インパクトが付く。
例えばもうちょっと具体的に、バナナじゃなくて花の写真とかをね、撮るとすると…。
花ってさ、普通上からじゃん、見るの。大抵の花は…。あと横から位、せめて。自分の目線で見るのが普通なんだけど、インパクトを持たせるには、例えば下からとかね…。

虫の目になるってやつだね!

うん、そう。花以外にもね、超ローアングルとか、ハイアングルとか。普段の目線でない位置から見ると、インパクトが付くっていう。このインパクトっていうのはイレギュラーによるものが大きくて、今まで見た事のないものっていう…さっき言った共感と想像だとすると、自分の見た事のあるものを、そのまんま出されると、つまんないんだよ、やっぱり。あ、コレ知ってるで終わっちゃう。例えば30mの巨人の写真とかあったら、え!?ってなるよねきっと。

それはさ、写真に興味ある訳じゃないよね、でも。

そうそう。写真に興味ある訳じゃなくて…共感っていうのは極論の話で、説明写真ってことじゃんね、結局。こういうものの説明なんだよ。こういうものがあります、っていった紹介ていうことになる。30mの巨人さんの紹介みたいな。でも、それはそれでやっぱり面白い。まあ、情報としてなだけだから、自分の求めてるものとは違うけれど、そういうのもインパクトっていう意味ではあるから、やっぱり面白く感じる。


「共感と想像」
この想像させるというのが大事と言ったけれど、ホントにこれが大事で、想像から情緒やストーリー性、映画的と感じたりする。写真見た人が印象から色々と想像していくんだよね。
その想像の為には、多すぎず少な過ぎずな情報量が大切となる。
この反対のものとしてあるものを「共感」っていう言葉で言ってる。何度も出たバナナじゃないけど、全部写っていて寄り分かりやすいものの様な。リアルさを感じたり、紹介的で説明的な写真になる。
綺麗な風景写真とか、多分こっちの要素が強いだろうね。こういう所が世界にはありますよ…みたいな紹介。ただこれには、知ってしまうと興味が薄くなるという弱点もあったりしてね。
だからこの2つバランスよく考えて撮る事が大事と思う。


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