2014/03/21

いい写真とは…

これに関してはずっと考えていて、未だにこれだ!という答は出ず。
少しスランプ気味だったので「いい写真」とはどんな風に受け止められているのだろうとググってみました。
たくさん参考になるサイトがあった中でいくつか…。

朝日新聞デジタル:良い写真とは? 上手な写真とは?
動画では生まれにくい「想像する」という楽しみ、というよりはこれは「快楽」かもしれない。そしてこれが写真の持つ醍醐味なのかも知れない。
動画では生まれにくい「想像する」という楽しみ、というよりはこれは「快楽」かもしれない。そしてこれが写真の持つ醍醐味なのかも知れない。限られたフレームに一瞬を閉じこめる。綺麗風に言うとこんな感じだけど、自分もそう思う。この「想像する」という楽しみは、小説の楽しみ方にも似ている。限られた情報から想像する楽しさ…。昔、オレ流写真論の第一回で書いた「写真は自由」…それは撮る側の自由でもあり、また観る側の自由でもある。
与えられた物をただそのまま受け入れるのではなく、いったいどういう事なのか。何が写っているのか。何を言いたいのか。
写真って、それを伝える楽しさでもあり、それを想像する楽しさでもある。


いい写真の定義は写真の用途によって変わってくるということを頭に入れておく必要があります。
「読者に行動を起こさせる写真がいい写真」
広告のプロならではの視点。言葉を変えると「観た人が感動する写真」「心が動く動く写真」…まさにそれはいい写真だと思います。そしてそれには自分の心が先ず動かないときっと撮れない…いや、もしかしたら撮れるのか?
ずっと自分がそれを好きになり、そして感動する事が大事だと思っていたけれど、もしかしたらそうとも限らないのかもしれない。
全然思い入れもなく何気なく撮った一枚が、誰かの心に響く事もきっとあるから…。となると一体…。

「いい写真」について悩むのは、今日からもうやめよう - NAVER まとめ
まとめなので参考になりそうなリンクがたくさんあります。
ただ、自分はもっと悩みたい。写真を続ける限り、考えて、悩んで、自分なりの何かを見つけたい。


そういや昔からレンズはあまり持ち歩かなかったなあ…。ずっと貧乏なのもあるけど。28と85だけバッグに入れてた。50mmは持ってなかったんだけど、最近はほとんどが50mm一本だ。
というのはツイッターでつぶやいたので、ついでに載せたのですが、ある意味どうでもいい話(笑)
自分が誰か写真を撮り始めたい人、撮っている人に伝えたい事を書くとしたら、これはポイントとして大きく占めるかなあ…。
自分は使っているカメラの機能は多分100%知っているし使っていると思うけど、それは機械が好きだからという部分が大きい。ほんとそれだけで、カメラの機種やメーカーにこだわりはそれほどなく、これから写真をはじめる人には、出来れば純粋に写真という物を撮る楽しみに浸って欲しいと思っている。
(機材について云々言ってる人達の空気がとても嫌いというのが大きい…。)

撮影者の心の内をどんなにごまかしても等身大が写ってしまう。強いて言うならばそれ以上は絶対に撮ることが出来ない。どんなに技術がある写真家でも人間としての中身が未熟であれば、それが写る。
最近特にそう思います。
技術やら機材やらなんて、ほんとに表面的な物で、写真の凄さってもっと内側の所にある物だと。それはまさに、その人の人となりであり、そこを磨くには人間として成長して行くしかないのだろうと。

最後に、自分が昔最も感銘を受けたユージンスミスの言葉を紹介して終ります。

写真はせいぜい小さな声に過ぎないが、 ときたま――ほんのときたま―― 一枚の写真、 あるいは、一組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの――たぶんすくなからぬもの――は影響を受け、 道理に心をかたむけ、誤りを正す方法 を見つけるだろう。そして、ひとつの病の治癒の探究に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。そうでないものの、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。 わたしの生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが。私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物をいう。それが私 ――そしてアイリーン――が水俣で写真をとる理由である。