どこまでが写真か。どこからがCGか。
このサイトを立ち上げた頃、レタッチの範囲はどこまでなら写真だといえるのか…といったことをチラッとブログに書いた覚えがある。
色温度を変えた写真は写真といえるのか。
色相を回転させた写真は写真といえるのか。
物の形を変形させるのは?物を消したり、追加するのは?
「同じものをもう一度再現できること」そこまでならばコンピューターグラフィックスではなく「写真」というのが当時の自分の考えだ。
今は変わっていないかというと、正直悩んでいる所もある。
例えばこの「同じ物をもう一度再現できる」という定義だと、ゴミが映り込んでスタンプツールで消しただけでもアウトだ。
さすがにそれはないな…と思う反面、電線を消したり、被写体を移動、合成などしたりする様な、二度目も全く同じにはならない様なものは、写真というには厳しいかな…という点では今も変わらない。
だがしかし、カメラの「撮って出し」したJPEG画像のみが写真と思う人もアマチュアフォトグラファーの間にいるのと同時に、プロの商業カメラマンの間では今や加工しまくるのが当然と思う人もまたいて、元の写真はただの素材の一つに過ぎない様な風潮もあるように思う。
例えば以下の様なサイトをご覧いただきたい。(今書いているこの話は、以前から書きたかったことを書いている訳でして、丁度その話に少し関係がありそうな記事があったので紹介した次第です。今は「加工が当たり前になっている」という例に過ぎず、これが良い、良くないというものではありません。)
Photoshop ユーザーに聞く | 「複数アプリケーションそれぞれの強みを活かすことが、表現の幅を広げる」篠田隆浩 | Shuffle by COMMERCIAL PHOTO
風景写真とCG
実写と区別が難しくなったCGと風景写真では、より洗練されインパクトの強いCGの方が勝るのだろう…ということを最近書いた。
風景写真というのは、「見たことのない風景」…この要素が強い分野だ。
次々と現実より刺激のあるCGが溢れた場合、人々は本物の風景写真を見てどう感じるのだろうか。
風景写真は近い将来、ありふれた記録写真や説明的な写真が多くなり、廃れてしまうのではないか…。自分はそれが気がかりでならない。
写真は「真実を写すもの」とそもそも思っていない。
漢字からなのか、真実を写さなければならないと思っている人も多いかと思います。
ただ自分はそう思っていない…いや、もっと大元の、「真実とは何か?」という部分で疑問を持たざるを得ないのです。
もし仮に写真が100%真実を写す物だとしても、現実にある被写体を選び、切り取り、止めるということに自分の考え、主観が入ることは避けられないのですから。
だから写真は、「この人にはこう見えたのだ。」というただの一例に過ぎないと考えています。
ということは、「この人にはこういう印象を受け、それを表に出した=表現したに過ぎない。」
写真が撮って出しだろうが、切り貼りのCGだろうが、どちらでもいいのではないか。
そう思う反面まだ素直に受け入れきれない自分がいる。
どこまでが写真で、どこからがCGなのか。
そして自分がこれから進む道は、そのどちらへ流れて行くのか。
まだまだ沢山考えることはありそうだ。