2015/05/17

着いた先は限界集落

今日は行くあてもなくドライブしていて、山奥の集落に着きました。
数えてはいないのですが、だいたい20件前後でしょうか…川沿いに古い木造の家が建つ静岡のとある集落です。
数年前に一度訪れたことのある場所だったので、どこか懐かしい感じで最初はワクワクしていたのですが、どうも様子がおかしい。人の気配がしない。

よく見ると家の戸は閉まったまま草や蔦が生い茂り、人の出入りがないことが分かる。
家の前にある広めの庭には、きっと花が好きだったであろう住民が育てていたであろう花壇が並ぶ。しかしもう花は咲いていない。
カメラを持ってきていないのでiPhoneを取り出し撮影を始めた。
当時。村人が道を行き来している様子を想像しながら。

限界集落と呼ばれるものがある。
若い人たちは街へ出て、集落には年寄りばかりが残る。そして段々と人は減り、消滅寸前の集落のことを言う。
残された年寄りたちは不便でそして孤独な生活を強いられる。
何か必要であっても物はない。豊かな生活でもない。体も弱り、街への買い出しもままならないだけでなく、田畑の仕事や普段の生活も厳しくなっていく。年寄りだけが残るとはそういうことだ。

地域によっては村おこしなど新たな住民を向かい入れ、過疎化に歯止めをかけようとしている所もある。しかし、これからは生活しやすい場所に住民を集約し、効率的に住む方がいいという意見もある。
確かにそうかもしれない。元々山間部が発展した理由のひとつにある林業も今や厳しく、生活だけでなく仕事という面も含めその方が住民にとっても便利だろう。
将来はそれでいいかもしれない。いや、そうならざるを得ないかもしれない。しかし、限界集落の問題は今起きていること。
都会の片隅で起きていると思われがちな孤独死が、当たり前のように多くの集落で今、起きている。

どんな生活だったのだろうか。
どんな人生だったのだろうか。
自分には想像でしか分からないことが多すぎる。しかし、今日見てきた、感じたことは、今日本中で現実に起きていることなんだと、あらためて考える機会になった。

たった1日、iPhoneでパッと撮っただけの写真ですが、一部アップします。またいつか撮りたいと思います。

限界集落