写真は事実を写すもの?
写真は色々な意味で真実を写さなければならないと思っている人も多い。写真なんて、撮ろうと思った瞬間から、既に撮影者のフィルタが掛かるもの。なのに何故いつまで経っても芸術と認められず、「完全な」記録と思われているのだろう。
物理的な部分もそうだ。何故か写ったものを絶対に正しい、正しくなければならないと思う人も多い。銀塩の時から全くそんな事はなく、カラーの色はメーカーが演出したものだし、モノクロであってもパン、オルソマティックなど感光域により出方は異なる。赤外フィルムなど極端なものだけを例外扱いするのではなく、全てのフィルムはそういうものだと、光とはそういうものだとは理解されない。
フィルム内反射によるゴースト。「漏れ」による滲み。レンズやボディ内のゴースト、フレア。レンズの歪みや素材、コーティング…「ニセモノ」を数え上げたらキリがない。もし写ったものが全て正しいとしたら、心霊写真はどうなるのだろう。
ソフト的な部分…写っている被写体もそうだ。撮影者が被写体にカメラを向けた瞬間から、既にその撮影者の表現は始まっている。写真は事実を伝えなければ「ならない」という思い込みが、写真を芸術とは認めない、表現するものではないという思考につながっている様に思う。
大事なのは、そこから何を汲み取るか。メデイアリテラシーの問題は今に始まった事ではない。